2013年2月20日水曜日

分水嶺

多くの事象が二つに大別される分かれ目。二つの川を隔てる嶺を称していう言葉か。分水嶺・・・。

友人というか、知人というか、斉藤隆という画家がいる。奇人変人の類なのだろうか。“普通”の人から見れば。その行動も作品も。自画像を含め、奇つ怪な絵を描く。

その斉藤隆展が、いま、福島市の県立美術館で開催されている。特集展示「分水嶺・斉藤隆展」。

彼から送られてきた案内状。「身に来い」と書いてはいないが、言っている。自分の絵の“理解者”の一人と思っていてくれているからかもしれない。

県美のリーフレットにはこう書かれている。
「福島県内の山村に暮らしながら、黒一色で、人間の内面を見つめる絵を描き続けている画家です。人間の“業”を白日の下に曝す怖い絵ですが、同時に“これが人間なんだ”と思わせるユーモアがあります」と書かれていた。

彼と最初に出会ったのは、当時彼の住居とアトリエがあった郡山と三春の間の舞木という所。そこを彼は閑花邨舎と名付けていた。そこにはおかしな絵描きが集合していた。猪熊克芳、長谷川雄一・・・。福島に住む、いわば抽象画家達。飲み、食い、喋り、そのうち斉藤は裸足で踊りだす。

なんとも言えない“楽しい”集まりであり、居心地のいい場所。そのアトリエの裏側からは郡山市内が一望された。夕景、夜景。見事だった。

ある時、彼はアトリエを川内村に移した。上川内小笹目。古い、かつては煙草農家の住居だったというまさに寓居。そこに一人で住み、絵を描き、書を書き、悠々自適の如き生活。梁山泊とでも言えばいいのか。隙間風の吹きこむ家。一年中石油ストーブを置いていると言っていた。

何回か訪ねた。都路を過ぎて、彼の家に向かうため右折。もう、何処にも信号が無い。目印も無い。行くたびに道に迷った。
たしか、犬を飼ってもいた。なぜかなついてくれた犬。
いわゆる放浪の画家ということなのか。奥さんに聞いたところでは、彼は一ヵ所に定住出来ないのだと言う。

時々、絵筆を書の筆にして、誰かの句や言葉、自作の句を書いてもいた。
「俺はね、絵描きなのに、なぜか書の方が売れるんだよね」と。

新潟にもいた。川内をたたんで、天栄村に移った。「3.11」の震災で住めなくなった彼は、なんと、新たに勢至堂峠というまさに“辺境の地”に拠点を構えた。そこは、川の流れが分かれる分水嶺だという。
分水嶺は今の福島が置かれた状況とも重なる。そうも記されていた。

震災後、彼とは一回しかあっていない。その時、「3・11」については話をしなかった。近況を話し合うだけで終わってしまった。

数年間住んでいた川内をどう思っているのか。あの家はどうなったのか。もし、あそこにいたらどうした・・・聞きたいことはいっぱいある。

県美の出展作は多くが近作だという。その作品には、分水嶺というテーマで描かれた絵には、彼のメッセージが込められていると思うのだが。

送られて来た案内状の中に、彼が川内村に在住の時詠んだ句が添えられていた。

「雪の道生涯同じ歩幅かな」。

震災後、その歩幅は大きく乱れたと書いてあった。

勢至堂峠のアトリエに彼は新しい称号を付けていた。
「雪上霜荘」と。天栄村にも行かずじまいだった。勢至堂にも、お呼びはかかったが行っていない。不甲斐無い「旧友人」。

昨夜、彼の昔の作品集を取り出し、見入っていた。奇妙な姿の人物像が何かを語りかけていた。そして無性に会いたくなった。

なんとかして県美まで足を伸ばさねば。勢至堂にも行かなければ。
無性に彼と話をしたい。どういう展開になるか。多分、聞き役に回ると思うけど。あのボソボソとした、時々は聞きとりにくい彼の声が聞きたい。
なぜなら、まさしく、福島県だけでなく、この国自体が分水嶺なのだから。そして、我々自身が、そこに立っていると思うから。

ここにちょっとだけあります。http://www.art-museum.fks.ed.jp/exhibition/saitotakashi.html

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