2013年2月8日金曜日

テレビという「日常性」

2月1日にやっていた「テレビ60年」の記念番組。NHKの「テレビのチカラ」。映像で振り返る60年史。懐かしいの一語と、あの頃は良い番組があったという郷愁・・・。

あの番組が「生」だったのかどうかわからない。多分、「生」だったとは思うが。
スタジオでは、ゲストの他に一般視聴者と思われる人も参加。今のテレビを問うていた。
時にはアンケート方式で。テレビを見ますか、見ませんか。
圧倒的とは言わないまでも7・3位の割で「見ない」という人が多かった。

テレビのリモコンやスマフォを使っての“投票”らしい。
え、見ない。だって見てるじゃないか。見て“投票”してるじゃないか。

この「疑義」っておかしいかな。テレビの現在に対する意識調査、問題意識の提起みたいなことだったのだけど。

テレビを情報提供の媒体と捉えるか、娯楽を提供する媒体かによって、その見方は変わる。

その後の「テレビのミライ」という枠ではネットとテレビの関係、在り方が話し合われていた。
結論。つまらなかった。隔靴掻痒。核心に迫ってこない。

この番組の制作者、関係者がどこまで、企画意図を詰めたものなのか。「つまらなかった」。それは即ち今のテレビの現状を表していたのかもしれない。

テレビの過去から未来へと変遷をたどる番組の途中に、今の、今日の世の中を伝えるニュース番組があった。ニュースウオッチ9という名称だったか。

そこに話題として、ニュースとして取り上げられたのがAKB48のなんとかという女の子の頭丸刈りの涙のメッセージ。本人の希望なのか「事務所」の意向なのか、とにかく誰かが構えたカメラに彼女の“醜悪”な姿がさらされ、それがNHKにまでも持ち込まれている。

それ以前の番組を見ながら、テレビについて考えていた時、登場したあの“ニュース”に興ざめした。前後の番組を否定するかのようにさえ見えたから。

これはボクの偏見かもしれない。

今、この国を、いや外国の席巻しているような「AKB現象」。一人の芸能プロデューサーが発案した若い女の子を使っての、そして“スキャンダル”までもがニュースのネタになるという世相。

AKB現象とはいったい何なのか。それこそテレビとしては検証してほしいくらい。

時の総理大臣までもそこを“聖地”と呼ばさせた、オタク、アキバ、AKB。
この現象が、一時の徒花で終わるのか、“文化”として続いていくのか。

AKBのメンバーの中には東北の被災地出身者もいる。あの日そこにいてあの出来事を体験した子もいると聞く。そして、被災地への“慰問”にも精を出していたとも聞く。彼女たちに励まされた被災地の人達もいたと聞く。

が、しかし・・・だ。

今、テレビは日常性のものとして存在する。貴重なものでも珍重されるものでも無くなった。各家庭にあるのが当然。テレビが映っているのが日常の生活。大方の「家庭」というところでは。

テレビを見ないという人達は、その日常性を否定しているということか。その日常性から“脱却”しようとしているということか。

なぜ見ない。見たいものがない。内容がつまらない。そんな答えが返ってくる。じゃ、見たいものは何か。何を求めるのか。そのテレビの側からの問い掛けが判然としない。

まさに選挙や政治に対する世論調査のようなものに過ぎない。その「調査」や「問い掛け」の無意味さだけが露呈されているような。

テレビって何なんだろうな・・・。それを作る側も、見る側も、あらためて確かめあわねばならない。しかし、その見直し作業に着手するには60年と言う歳月は短かすぎるのではないだろうか。

いや短くはないか。原発だって40年経てば“廃炉”って一応決められているのだから。

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