2013年6月25日火曜日

「ネット」そのプラスとマイナス

岩手県議が病院で番号で呼ばれたことに腹を立て、自身のブログに「刑務所に来たんじゃない」。「会計をすっぽかして帰ってきたものの、まだはらの虫がおさまりません」などと書いて非難を浴びた件、その県議がブログの“炎上”もあって、自殺した・・・。

ついうっかりのネット使っての心情の吐露。

まだ記憶に新しい、復興庁の参事官がツイッターで福島県民を愚弄し、侮辱するような“つぶやき”をして30日の停職処分を受け、上司や大臣にまでその“責任”が及んだ件。

彼は“本音”を吐いた。言いたいことを言った。

役所は役人に「ネット」を使うなと“規制”する。

安倍はフェイスブックを使って外務省の役人を“口撃”する。

ネットは、いや、ネットといってもブログとツイッターとフェイスブックなどのFNSとは、若干、その性格を異にすると思うけど、芸能人のブログなどもよくやり玉にあげられるけど、「本音」の世界なのかどうかということ。

本音と建て前、本音と虚言。その功罪。あえてプラスとマイナスと言ってみれば・・・。

岩手県議は、その職にあったということで指弾された。自分の立場をわきまえない発言として。
図らずも、地方議員の資質の一端を見させてもらったともいえる。

復興庁の参事官だった男のツイート。福島県人にとっては許しがたいことだが、役人の実態、霞が関の実態も暴いたともいえる。そして、それを規制するということ。ある意味“隠ぺい”だとも。

維新の橋下も何かというと「ツイッターで」と言う。そこにはたしかに「本心」が垣間見える。
役人の本音は見えなくなるだろう。ツィッターに書き込んだ動機はなんであれ。

規制は隠ぺいにつながり、訳のわからない役所答弁だけが全てということにもなりかねない。

我々は「インターネット」という便利なツールを手に入れた。それを生かすか殺すかは使う人それぞれの意識。

本音はネットで言い、建て前や公式発言は人の前でという使い分けがいいのか悪いのか。

結局「裏表の無い人間を作る」ってことなのか。それも変だし。

たしかに実生活というか身近でもある。ネットで“過激”な発言や表現をしている人が実際会ってみると柔和なおとなしい人だったとう例も。

ならば「ネット」は人格さえも変えるということか。

パソコンを使ってこの「ブログ」を書き、ネットに乗せ、時間を見てはツイターやFBを眺めているこの身。

「解」の無い世界かもしれない。そしてそこには「怪」がある。“炎上”って言うが、それはどういう現象なのかも含めて。

たとえばこの「からから亭日乗」。どんな人が、だれが見てくれているのかもわからないし・・・。

とりあえず毎日、言いたいこと書きたいことを書いているけれど。

だからと言って「リテラシー」って“言葉”に逃げ込むつもりもないし・・・。

近づく参院選。ネット選挙解禁。どうなっていくのだろうか。

先ごろあった郡山市長選。ネットを制した側がネット音痴の側を破ったことだけは確か。

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