津波にのまれ、破壊された街のことでなない。さながら廃居のようになった避難地域の町のことではない。郡山のこと・・・。
30年来にわたる親友の一人に古川清という男がいる。年齢は彼の方がかなり上だが。たぶん今は80歳だろう。
郡山で生まれ育ち、東大を卒業して外務官僚に。高級官僚に。彼と知り合ったのは、「取材する側」「取材される側」としての関係だった。
彼が海外の大使を務めているころから、仕事を離れた「友達関係」が出来あがっていた。任地から長い手紙を貰い、返事を書き・・・。
やがて彼は皇太子殿下の「お傍役」、東宮大夫を経て退官。今は何かの名誉職か何かをやっているのだろう。少なくとも郡山のフロンティア大使ではある。
郡山に赴任することになった時、彼はここの“要人”数人に紹介状を書いてくれた。オマーン大使だった。オマーンからそれを送って来てくれた。
彼が生まれ育った家はもう郡山には無い。無くなった。住まなくなって壊したから。彼は故郷郡山に寄せる思いは多大である。何かの用事を作って郡山にくる。来ると必ず呼び出される。
彼はボクの故郷東京で“終焉”を迎える。ボクは彼の故郷郡山で“終焉”を迎える。
数日前も彼は郡山に来て、案の定、いきなり電話が来て呼び出された。朝河寛一の顕彰会で用事があったという。日米開戦を阻止しようとした男。朝河寛一。安積高校出身。
待ち合わせの時間の前に彼は郡山の街中を見て回ってくるようだ。
自分の故郷の変貌ぶりを確認したいらしい。
駅前のホテルのロビー。そこから見える光景も変わった。そこにあったビルが解体され、その裏にあった蔵が目の前に見える。
「あれはだれそれの蔵だな」。そんなことをつぶやきながら彼の眼はどこか遠くを見るようになる。
今、郡山はあちこちのビルや建物が解体ラッシュだ。彼の同級生が持っていたビルも解体中。もちろん地震の影響。
「町は壊れていくんだな、光景は変わっていくんだな」。彼はひとりごつ。
「解体された跡はどうなるんだい」。「知らない」。「何が建つんだい」「わからない」。
変わりゆく町の光景は彼の心に何かを刻む。
町の話をひとしきりしたあと、話は必ず政治に及ぶ。
変わりゆく政治に彼も思うとこ大なのだろう。
官僚機構の中枢にいた彼と、僕とでは、政治に対する見方や考えが時たま異なる。今回はある一点で一致した。思わず手を固く握りあう位に。
「政治の世界に反対勢力が、確固たる反対勢力が無くなったこと。それがこの国をおかしくしていくかもしれない」という事。
沖縄返還協定時、彼は外務省で社会党にこっぴどくやられていた。しかし、それが良かったのだと言う。
「俺は安倍ちゃんが嫌いではないけど、彼がどういう国に持って行こうとしているのか気になるんだよ」と。
「国」というものに対しての意識は外交官には強い。
町も変わったけれど政治も変わったよね。彼はそう言って駅へと向かう。再会を約して。
彼の背中に言う。「郡山も変わったけど東京はもっと変わっているでしょ」と。
そうだよな。日中国交回復時に訪れた北京の光景と、今、テレビに映し出される北京。雲泥の差どころではない。すべてが経済成長の為せる業かと。
そうだ、そんな話もさっきしたよな。
かくしゃくとした足取りで駅へ向かう彼の背中をしばし見詰めた。背中だけを。
もしかしたら、目は昔の“何か”を追っていたのかもしれない。