2013年6月15日土曜日

ネットが街を「壊す」

安倍政権誕生前から、安倍と楽天の三木谷は急接近したという。
間を取り持ったのは幻冬舎の見城社長だという。三木谷は政府の産業競争力会議のメンバーになった。そこで力説したことの一つがクスリのネット販売解禁。どうもそうなるらしい・・・。

何があっても、何が起きても、結局、人は限りなく便利さを求めるものだということを実感している。何10万人と言う「不幸」な人たちをうんでも、住む家を失った人たちがいても、「便利」さだけは求める。

例えば郡山に避難している人、いわき市に避難している人。故郷に帰ることを逡巡している理由の一つ。「便利」だから・・・。これは「便利」さを求めることの一つの例え。

クスリがネット販売される。多くの人は、ネット環境を持っている人は、キーボードを叩けば、スマホのパネルを押せばクスリが買える。便利な世の中になったもんだ。居ながらにして欲しいものが手に入るというネット販売の利便性。

たぶん、街のクスリ屋さん、薬局は、病院や医者とつるんだ調剤薬局以外、「つぶれる」のではないだろうかという疑問。
馴染みのクスリ屋さんに行って、椅子に座っておしゃべり。体調不良を訴え、なにがしかのクスリを相談しながら買っていく。クスリよりもおしゃべりの方が“良薬”。そんな光景も無くなるだろう。

街から本屋が消えている。小さな、昔ながらの本屋。馴染みの客と主人の会話。しかもそこにはちょっとした「知的会話」が紛れ込む・・・。
そこで「本」を探す楽しみ。厚さや字の大きさを確かめ、装丁にまで目をやって店頭で本をめくると漂ってくる紙の匂いと本が持つ独特の匂い。

大手の本屋は生き残っている。街の本屋は姿を消した。

本はネットを使える人はアマゾンで買う。楽だから。カートに入れれば翌日本が届く。

パソコンのは毎日、アマゾンを始め、楽天も、その他のオンラインショップからもメールが届く。

その間に介在している人間は「宅配業者」だけ。

お菓子やさんもネットショップ。靴も洋服もネットショッピング。

街は小さな商店によって成り立っていた。それらが「核」を為していた。そこには店と客との会話があった。それなりの人間関係が成り立っていた。

そして直接やり取りする「カネ」には、ある種の「ぬくもり」があった・・・。

で、極論のようだが・・・。ネットに支配された世の中。人が介在しない売り買い。街は空虚なものとなり、会話が無くなり、街は「壊れて」いく。

「餅は餅屋」でいいんじゃないかな。ネットを駆使しての経済成長ってなんか不気味なんだけど。

ネットで売っていないもの。それは「もてなしの心」を持った飲み屋さんだけか。スナックだけか。
「風俗まがい」のことだってネットでは成立している世の中。

馴染みの魚屋で刺身を買った。出来あがるまで、小さな椅子に腰かけて世間話しに花が咲き・・・。その余韻が刺身の味を際立たせる。
「ちょっとおまけしといたよ」。そんあ一言に人のぬくもりを感じる。

アマゾンで本を買う事を「あの日」以来止めた。デパートの中にある本屋に足を運ぶ。買う前に数葉ページをめくる。その“時間”が楽しい。

豊かさって便利と言うことの延長線上にあるのだろうか。豊かさって経済成長がもたらすってことなんだろうか。
国際競争力ってなんだろう。あえてTPPに言及するつもりはないが。

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