「舟を編む」という本がある。辞書の編纂者のことを書いた本。三浦しおん作。
主人公の荒木公平。言葉に興味を持ったのが辞書。
犬はドッグの犬。でも、官憲のイヌとされると、裏切り者。犬死には無駄な死・・・。
辞書を繰ると用例含めて、言葉の楽しさ、面白さを知り、言葉の“森”へと“川”へといざなわれていく・・・。
センセイと呼ばれる学者との会話には「蕎麦をたぐる」という表現が出てくる。
いまどき「たぐる」なんて滅多に使われない。
残念ながらこの本、未だ読了していない。その前に読まねばならない本が沢山あるから。
震災関連本であり、震災と原発事故から見えてきたこの国の在り様を書いた、説いた、論じた本・・・。
とにかく、「3・11」後、どれくらいの本を買っただろうか。
金銭的余裕は無い身ながら・・・。いくら読んでも読み切れない原発関連本。
そして災後に書かれた文学・・・。舟を編むも発刊は2011年9月ではあるけれど。
「残りの時間」で果たして、それらの“つんどく”状態になっている本を、どれだけ読むこと可能なのだろうかとも。それはともかく・・・
先日、TBSの深夜のニュース番組・・・。
辞書編纂者がカメラ持って街中を歩く。看板やレストランのメニューに変わった表現があると「面白い」と言って次々撮っていく。
街中での「言葉探し」。
毎年のように辞書は改定される。用語の容量はだいたい決まっているらしいから、新しい言葉が入れば古い言葉は消される。消える。日本語が消える。
リア充、ガチとかいう言葉も新しい辞書には入るらしい。いつまでこんな言葉が使われるのか。言ってみれば“流行り言葉”。それが辞書に収められる。なんとも奇怪なりと。
流行語事典というのでも新たに作ればいい。本当にそれが必要とされるのなら。
知っておかなければならない言葉、日本語は沢山あるのに。それを知らない人が山ほどいるというのに。
ネットの影響だ。ネットスラングのような言葉までが“市民権”を得る。
テレビでお笑いタレントが使う言葉が「正しい日本語」とされる。
言葉でこの国は“崩壊”する。
最近、辞書を買う人がやや増えているという。ネットの台頭がもたらす言葉のの在り方に漠然とした危機感を人がもっているということだろうか。
どこかの小学校では「辞書を引く」という授業をやっているそうだ。
調べた言葉に付箋を貼っていくという付箋授業だとも呼ばれているそうだが。
最近、憲法の本が売れているそうだ。
平積みにされている。改憲論議の台頭に危機感を持った人がいるということなのか。
郡山でも本屋は減った。
アマゾンが隆盛を極めているからとも言う。キンドルなどで「購入」出来る電子書籍は安い。
でも、でも、辞書は薄い紙を繰るもの。眼を細めてでも。
本は紙で読むもの。並べておけば、時々背表紙が語りかけてくるはずだから。
改定される「新しい辞書」に、3・11はどう記述されるのだろうか。想定外という言葉の用例にどんな事が書かれるのだろうか。
避難という言葉の用例に福島の事は書かれるのだろうか。
メルトダウンやマイクロシーベルト、ベクレルなんて言葉も載せられるのだろうか。
「言葉」はその時代を反映している。時代とはその時々の人のことか。時代の変化に言葉が変化していくことをよしとするのか。
「日本語を知らない日本人」、そんな本を、日本に精通した外国人に書かれたらどうする・・・。
「ヤバイ」は危険なことを指す。
「鳥肌が立つ」は“怖い”ことを言う。その筈だったが、一昨年刊行された岩波国語辞典7版には「近頃は感激の場合にも使う」とも書かれている・・・。
辞書が“時代に迎合する”ってなんかおかしい・・・。そう思う僕がおかしいのか。