1956年、石原慎太郎という若い作家が衝撃的な作品を世に出し、“颯爽”と文壇にデビューした。
太陽の季節。奔放な生活を送る若者像。当時、「裕福な家庭に育った若者の、無軌道な生活を通して、感情を物質化した新世代を描いた作品」と言われた。
芥川賞を受賞するにあたって、選考委員の意見は真っ二つに割れていたという。
太陽族という言葉が時代を象徴し、慎太郎刈りなる頭の形が流行り、弟裕次郎さんのシャツをはだけ、裾を縛るといいうスタイルがこの国中に見られていた。
狂った果実含め、裕次郎映画を見に行った。高校生だった頃。映画館を出ると「裕次郎」になりきっていた。
たまたま後年、裕次郎さんとは知遇を得るようになるのだが・・・。
「太陽の季節」があった頃、それは日本が高度経済成長に突き進む前触れのような時代。確か、「神武景気」というのに湧いていたような時代。
20代だった作家は80歳になり、なにか今でも「太陽の季節」の中にいるような。
ボクはその頃、アメリカ映画、理由なき反抗を見ていたせいもあるかもしれない。太陽の季節と重なりあう若者像。反体制と捉えていた。
維新という政党がどうなろうとあまり関心は無い。ボクの中では国会議員になって青嵐会という集まりが自民党の中に出来、血判状を押すという状況を見ていて抱いていた“違和感”。
三島由紀夫のあの自決事件。
何でもカネさえあれば、ちょっと豊かであれば、欲しいものは手に入るという時代。それに誰も疑問を抱かなくなっていた。
「何かを手にいれれば、何かを捨てなくてはならない」。そんな思想は吹き飛んでいた。何でも手に入れ、手放さずに抱え込む。そんな世相があった。
慎太郎はあの「3・11」を捉えて、とっさに「天罰」だと言った。豊かさの根源を作った原発エネルギー政策。それを指して言ったのではなかったようだ。
自らを「暴走老人」と名乗る慎太郎。暴走は止めなければならない。危険なのだ。
橋下とのさまざまな蜘蛛の糸のような関係。
「おたく」と言われる若者文化は、あの太陽族にも重なって見えるのだが。
多分、慎太郎があの時代と今をどう捉えているのかワカンナイ。
きのうも石原節がさく裂していた。社民党の福島を「バカみたいな社会党の生き残り女」と呼び、「生きているのが不思議なくらいの化石」と言った。
即座に思う。「化石はあんただよ」と。福島瑞穂はボクも嫌だけど。化石が化石とくさすおかしさ。
野中広務を「売国奴」と呼んだ。汚い言葉だ。彼の小説に対して、その文体や言葉のおかしさを指摘していた人達も数々いる。
すくなくとも「政治家」が使う言葉では無い。品性のかけらも無い。昔の仲間の亀井をくさす。「どうも最近おかしくなったようだ」。
国会議員の言葉が、最近とみに乱れている。
みんなの党の議員だったか。「落とし前をどうつけるのか」って言っていた。「落とし前」、ヤクザ言葉だ。
今も、この国は、あれだけの惨事を経験しながら、なお「太陽の季節」に暮らしているのだろうか・・・。とも。