2013年6月14日金曜日

「被災地中傷ツイート」に思うこと

復興庁の被災者支援を担当する水野靖久なる参事官が“暴言”の数々とツイートしていたと言う件、毎日の“抜き”に始まり各紙や各メディアの俎上に。

参加した集会では罵声を浴びせられたと書き、たぶん川俣町議会であろうところを田舎の議員と小馬鹿にした言辞・・・。

要するに、結局、そう言うことだったのだ。結局そういうもんだったんだということ。

この国を統治している輩の実相が、あらためて白日のもとに曝されたということ。

復興庁なんて所詮は各省庁からの寄せ集め人事。選りすぐりの役人を集めたわけではない。「余されもん」の寄り合い。

なんで、おれが福島くんだりまで言って、ああでもないこうでもないと言われ、矢面に立たされ、嫌な思いをしなくっちゃならないんだ。そんな本性が丸見えになったということ。

官僚を信じちゃならないよ。面従腹背なんだよってことを改めて思い知らされたってこと。

彼は「嘘」はついていない。本心をツイッターと言う“手段”を使って言ったに過ぎない。どことなく橋下に通じるものもある。

国会議員の在り方、国会の在り方もくさす。バカにされた先生方。

「何も結論を出さないという最上の解決策」と彼は自画自賛。これとて、いわゆる「国」がやっていることの“実践”。

「うるかしておく」(方言です)が最高の解決策とは・・・。しかし、それとてこの1年を見ていれば、当然のこと。子供や被災者の支援法が出来ても何も実践されていない。

そう。かれは“正直者”なのだ。地方を馬鹿にしてかかるってことも含めて。
町議会が何を言っているのかわからない。そりゃそうだ。その地域の言葉で喋るんだから理解しようと努力しないと聞きとりも不可能。

自分のために正直であることと、使命として仕事をやることとの正直は違う。
まして“正義”とは相容れない。

復興庁なる役所を代表する形で現地入りして、彼は何を使命と思ったのか。
たぶん「使命感」など持ち合わせていなかったか、本省の思惑を実行するだけと思っていたのか。

「結局、国は国民を守らないってことよね」。そう言った人の感性は正解だ。

復興大臣は福島県出身。さぞかし困惑していることだろう。陳謝して言いわけして乗り切るしかない。しかし、それでいいのか。

県知事が時折、思い立ったように安倍のところや大臣のところに陳情、要望に行く。「わかりました、検討します。検討させます」と型にはまった応対。
それらはすでにもう1年も前から検討されていて結論が出されていていいものばかり。

何を今更・・・。

無為な時間、無為な摩擦。

2年間、国の不作為のよって、いや、あるいは作為的に「うるかされていた」事に対して、怒りの声が上がるのは当然だ。誰だって怒る。

甘んじて“棄民”をうけいれるという不条理には、いくら田舎もんであっても反発する。

この参事官を更迭すると役所は言う。政治家は言う。本人、納得じゃないの。嫌なお仕事から外れられるんだから。定期異動を待たずに。

その時の事情や環境がどうであっても、集会の主催者がどこであっても、彼が、今は削除したとは言え、ツイートした文言は“事実”として残っている。
福島県民はこうした官僚の応対をすでにして大片が体験済み。一時帰宅の受付場所。そこを手伝う民間人は経産省のお役人にやたらと気を使っているという。
ご機嫌を損なわないようにと。東電の社員にも。

官から民へ。もう謳い文句は聞き飽きた。官による民への「イジメ」はこの国に染みついた体質として、また、何かの場面で露呈されるはず。

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