2013年9月16日月曜日

上着の襟に付けているもの

台風が荒れている。被害が伝えられる。進路が気になる・・・。

なんか異常気象が加速しているようにも思える。

「原発」が気になる。相当の雨量が予想される。風が気になる。クレーンはどうなる。

荒天の中、作業をしている人が気になる。

テレビは台風情報に余念が無い。伝えられるのは、すでに起きた様々な被害。
そして進路。
「警戒してください」という。警戒はしてるけどどうしようもない。

「原発」への言及はほとんどない。福島のあの事故現場への。

台風のニュースの合間をぬって伝えられたのは「大飯の定期点検のための中止」だけ。

起こったことにだけ関心があるようにさえ思える・・・。

「コントロール」されているとした原発。それで“終わった”かのように別荘でゴルフに興じていた総理大臣。その人の考えが気になる・・・。

ふと思う。

国会議員さんの背広の襟には議員バッジが付いている。身分証明としての。
そして、それは彼ら(彼女ら)にとっての誇りだ。

だから、何かの時に言う。
「議員バッジを外す覚悟で」とも。

民主党の野田も付けていた。安倍も麻生も付けている。議員バッジの隣か反対の襟に。

ブルーリボン。拉致被害者救済のバッジ。バッジをつけながら、そのことについて何が行われているんだろうか・・・。

一時、「がんばろうにっぽん」のようなバッジを付けていた時があった。それはいつの間にか「東京オリンピック招致」のバッジに替わっていた。
オリンピック招致に成功した。また襟にはブルーリボンだけ・・・。

そして時々、赤い羽根や緑の羽根・・・。

会社の社章もそうだ。そこの社員であることの誇りと責務を意志として示しているはずの社章。だからか、飲みに出るときは外す人。

検察官バッジは「秋霜烈日」と呼ばれる。秋の霜の日も、烈しく太陽が照りつける中でも、己の信念を曲げないという決意の表れとして。検察官は、それを身につけることで、己を律しているとされる。されてきた。

なんか、いまは単に身分証明としてのバッジのような。


秋霜烈日、バッジの「由来」に忠実であるならば、東電の元会長や社長、菅直人を告訴した福島県の集団訴訟を、検察は不起訴にする筈はないと思うのだが。

原発事故という「国家的“犯罪”」を司法の場でとりあげることに意義があると思うのだが。証拠含め、結果がどう出るにせよ。

少なくとも国会というところは民主主義の場である。かつては通年国会なんていう話もあった。立ち消え。

国会の通行証のようなバッジを毎日付けていながら国会は開かれない。

検察官バッジを付けながら法廷にそれを持ち込まない。

おいおい、みんな職務放棄なんじゃないかい。

電力マンの誇りだった、一流企業の証だった、「TEPCO」という東電のバッジも錆びついたの感。

秋霜烈日、原発作業員の日々だ。バッジは付けていないが誇りを持っている人たちにも思える。

避難区域の中にある我が家に帰る時に必ず要求される身分証明書の提示。普段は持っていないもの。

関係ないけど、昔は警察手帳が警察官の身分証明。今は、アメリカ並みにバッジのようなものをかざすようになっているんだな。

なんでテレビに出演してるときに議員バッジがいるんだろう。なんで記者章、記者バッジをつけている人がいるんだろう。

なんか滑稽だ。格式というやつに拘っているのかな。そんな人の言説は一顧だに値しないような・・・。


昔、 “陣笠三九郎、都へ行く”という本があった。著者は下川儀太郎。社会党の代議士。静岡県選出。
その本は、いささか痛快であり、諧謔性に富み、国会議員の実相を巧みに描いていた。

“パッカードに乗った森の石松」という本も痛快だった。著者は東京新聞記者だった尾崎宏次。社旗をはためかせ、外車に乗って飛びまわる記者を、”森の石松“に見立て、かなり皮肉っていたように思えて・・・。

自分を見つめている政治家や記者は果たしてどれだけいるのかと気になる。それぞれの襟章のこと含めて。

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