要はこういうような話だ。
竜巻の被害が多発している。郡山も竜巻こそ無かったが、昨夜の夜半の雷は凄かった。寝不足だ。贅沢な悩みだが。
たしか、つくば市の事だったか。竜巻で家が崩壊した家庭。東北から、津波で家を流された人たちが何人か復旧の、片付けの応援にかけつけた。
いきさつはこうだ。
その竜巻被害に遭った家の人は、おととし、東日本大震災のあった時、車に支援物資を積んで、どうにか被災地に着いた。いわばボランティアとして、津波被災地の人の力になった。
竜巻でその人の家が崩壊した。あの時世話になった人の家だとわかる。仮設にいる東北の人たちは、がんばろう東北、絆と書かれた揃いのTシャツでその竜巻現場に向かう。片づけを手伝い。
お互い、久しぶりの再会。
困った時はお互い様だと。再会の喜びだけではない。実現出来た恩返し。
「善意のおすそ分け」だ。
一昨年、津波で根こそぎ街をもっていかれた釜石。女川から釜石に向かう、そこだけが復旧していた、通れるようになっていた道路。
空き地に看板が立ててあった。
「ご支援ありがとうございます。いつか必ず恩返しいたします。気をつけてお帰りください」。
他者への感謝、おもてなし。東北人が持っている気風。もちろん全員がそうだとは言わないが。
その「いつか」が来た。恩返しの時が。
そこには“絆”という、実践された言葉が厳然と存在していた。
「おたがいさま」「おすそわけ」。かつて日本人が持っていた「こころ」。
助け合うということから生まれた本当の絆。
そうやって生きていくのが人間なのだ。
災害は、どこでおきるかわからない。“善行”の人のところにもそれは襲う。
いや、むしろ、そういう人を目掛けているかのように。
東日本大震災にしても、今度の、これからもあるかもしれない竜巻にしても、天災は避けられない。
それがあった時に、人は生き方を、在り様を試される。
善意とは「カネ」だけではないということも。
大きなニュースが飛び交っている中での、小さな話題。
都会のデパートでは高価な商品が飛ぶように売れているという。回復してない景気の中で。
いらなくなった物がどんどん捨てられている。
消費者は神様だと言われ、その“権利”を主張する。勢い、福島を大方が「忌避」する。
福島県の人から、時々「おすそ分け」をもらう。東京の親戚や知人に「おすそ分け」を送る。
東京から送られてきたお礼の品を、郡山の人に「おすそ分け」だといって持っていく・・・。
戦後、東京でも、我が家の周りでも「おすそ分け文化」が生きていた。
「困った時はお互い様」と誰もが言っていた。大人が言う言葉を精神を、子供は知らず知らずのうちに学んでいた。
「お互いさま」や「おすそ分け」の文化。支えて、支えられて。
それが東北から実践として発信され、あの頃の日本を取り戻す端緒になればいいなあと思いつつ。
竜巻被害現場には、喪失感とともに、大きな笑顔があった。
小さな話の中に“真実”がある。
笑いの中に“真実”がある。
2013年9月5日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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