2013年9月13日金曜日

~あれから2年半~。あらためて「復興」とは?

今にはじまったことではないけれど・・・。
「東日本大震災復興プロジェクト」「復興支援コンサート」などなど。
この「冠」としてある“復興”とは何を指しているのか。何をもって“復興”とするのか。
一昨年から「叫ばれて」いる復興、復興の二文字。未だもってその「意味」がわからない。

それを言っているひとの「真意」を聞きたい。

オリンピックは東北の復興につながる。オリンピックで東北を復興させる。
その謳い文句の空虚さ。

「復興」とは何を言うのだろう。何さして言うのだろう。

街を蘇えらそうと立ち上がっている陸前高田の若者の一人は言う。
「東北は、大震災の前にすでに崩壊していました」と。

過疎化、高齢化、あらゆることでの格差。
地震と津波が、その動きを加速化させたのだと。

彼が言う、そういう街を地域を作り直すことが復興なのか。

「復興」とは、人それぞれによって違う。その意味も形も。

復興庁という役所が出来、復興大臣には郡山選出議員があたっている。
そこから復興ということの確たるビジョンや意味合いを示されたことはない。

二度と津波の被害を起こさないように。高台移転が言われた。
高台に移転するのは金が要る。津波に襲われた土地は買い手がつかない。金がないから、また元の場所に家を復元させる。
「ここに住む方が、よっぽど、やすまる。仮設暮らしはストレスで潰されそうになる」。

港の近くに戻る漁師もいる。

元いた場所に戻るのも「復興」。

防潮堤はまったく建設が進んでいない。それに当たる人がいないからだと。人が不足しているからだと。

復興予算なるものは「流用」される。流用した人に罪の意識は無い。むしろ“知恵者”とも称賛される。

高台に新しい「町」を作る。それが復興なのだろうか。

復興とは街をコンクリートで覆うことが復興なのだろうか。いわゆる「ハコモノ」に過ぎないのではとも。土建屋さんを設けさせる為の。それもままならない・・・。

人が介在していてのはじめての「復興」。

人の望む形、在り様、姿・・・。

農業の人は農業が出来るような環境。漁師は魚を獲ることが出来る環境。

川内村に住んでいた作家の鐸木能光さんはこう書いている。
「今、東北で進められている“復興”には、“生きる目的”“人生の核”を見つめる心が欠落したまま、単に経済的な数値を取り戻すための行為になっている場面が多すぎます。金を投入すれば仕事が増えて地元も嬉しいだろう・・・的な論理が。それじゃダメじゃん・・・ということ」と。

同じ想いがある。

「東北はすでに壊れ始めていた・・・」。前述の陸前高田の人の言葉を借りるなら、壊れ始めていた東北を復興させて何が生まれるのか。

高齢化社会。過疎化。農業の後継者もままならない。そんな「地方」を再現させることが復興なのだろうか。
復興とは新たにふるい起こすという意味だと思う。
ならばどうなる。話の展開は。
この国の姿を在り様を「復興」させることではないのかと。

あるべき社会システムを作り上げることではないのかと。

ここ郡山でも「復興」ということを誰しもが言う。
郡山の人口32万人余りの地方都市の復興とは何か。

中心市街地に、もう一回人を呼び戻すことではないか。商店街を復活させることではないか。
商品棚から黙って商品を取り、黙ってレジに並び、黙々と出口に買ったものを持っていく。そんな日常が定着している。都会も含め社会の“縮図”だ。

商店街、買い物に、ちょっとした会話がついてくる。商店街の人たちが、お客さんの“消息”を知っている。年寄りの買い物の手助けをする。
そう、人と人との触れ合いがある場所にする。それが復興なのだと。

復興の主役は「人」なのだと。だから、真の復興とは日本の“社会システム”そのものを、もう誰もがわすれかけているような、「真の豊かさ」を取り戻すことではないのかと。
前にも書いた。人があって国がある。国があるからひとがいるのではない。

「こころの復興」、それも束の間のものではないもの。それは、たぶん一人一人に課せられた課題・・・。

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