2013年9月10日火曜日

「賢者」と「愚者」と。オリンピック余禄。


ドイツの宰相ビスマルクの言葉として、歴史に名を残している名言。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。

この言葉が、なぜか、いまあらためて散見される。

前にも書いたが、この言葉をボクは“否定”した。歴史にも経験にも学ばない愚者があまりにも多すぎて。

オリンピック東京招致に湧くテレビの映像を見ながら、またあの「歴史」を思い出していた。

トルコの貨物船エルトゥールル号海難事故のことだ。明治23年、和歌山沖でその船は座礁し、大破、沈没した。多くの死者を出したが、70人弱は泳いで串本の岸にたどり着いた。村民は総出で救出にあたり、折からの台風で、自分たちの食糧もままならない中、食糧をわけ与え、衣服も提供し、遠くの病院に運んだ。明治天皇もそれを知るところとなり、精いっぱいの援助をするようにと下命した。
やがてその救出された人たちは東京から無事本国に帰ることが出来た。

そのことをトルコ国は教科書に載せ、歴史として次の世代に伝えていた。トルコ人は誰でも知っていた。

今から28年前、イラン・イラク戦争という“歴史”があった。48時間後にバクダット空港を飛び立つ航空機をすべて爆破するとフセインが言った。
215人だったか。在留邦人は空港に急いだ。日本からは救援機が来なかった。
自衛隊機は自衛隊の海外派兵につながるとして、法の規定により救出にいけない。日本航空機も安全が保障されていないとして、行かなかった。

困惑した日本の野村大使は隣国トルコに救援を依頼した。トルコは民間機2機を派遣した。自国民に優先するかのように日本人を乗せ、無事成田に送り届けた。

「恩返し」ですと。

イスタンブールとの決戦投票。招致を手にいれた日本は、安倍をはじめ皆、小躍りして歓喜に包まれていた。そのあと安倍がとった行動はテレビの画面からは伝えられていない。

どっかで見た記事。トルコの首相が安倍に近づき、抱擁しながら祝意を伝えたと。

イスタンブール市街には「東京おめでとう」という垂れ幕が掲げられていた。インタビューに答えるトルコ人は皆祝意を述べていた。日本へ。

グッドルーザーだ。わるびれない敗者と訳されている。ウインブルドンに伝わるスポーツの精神。

歓喜で小躍りしたあと、いや、決定直後、安倍はトルコ首相のもとに行くべきだったのだ。健闘をたたえ合うために。

それを「武士道」と呼ぶ。ボクの概念の中では。
相手を称えたあとから喜ぶ。
高校野球の選手たちもやっている。それがスポーツマンシップというやつだ。

たまりかねて、普段はやらないツイターでつぶやいてしまった。この事を書き、歴史に学んでいない日本、学んでいたトルコと。140文字で。

いわゆるリツイートの数は多数あった。

「知らない」とうことの罪は大きい。

歴史にも学んでいなかった宰相と呼ばせてもらう。東日本大震災という経験からも学んでいなかった宰相と呼ばせてもらう。
武士道の精神をわきまえていない宰相とも。
日本を取り戻すというキャッチフレーズを掲げたいた人の実像として。


安倍首相は5月にトルコを訪問した際、安倍はエルドアン首相にこう言っていたというが。
「もしイスタンブールが五つの輪を射止めたら、私は誰より先にイスタンブール万歳と言う。東京が射止めたら、誰よりも早く万歳と叫んでいただきたい」。

まったく平仄があっていないような気がする。

トルコ料理を食べてみたい。日本人の味覚に合うとも言う。悲しいかな、郡山にはトルコ料理店は無い。無いはず・・・。
知り合いにトルコ人もいない。

せめて庄野真代の♪飛んでイスタンブール♪でも歌ってみるか。歌の出だしは、「いつか忘れていった・・・」だったと記憶している。

カッパドキアで悲しい事件があった。トルコについて書くのはちょっとためらわれたが・・・。

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