2013年9月26日木曜日

「風評被害」はどこから生まれるのか

福島原発の汚染水問題で中断していた相双地区といわき地区の漁連が、試験操業を再開した。再開する。嬉しいニュースだ。
相馬のスーパーには獲れた魚が出回っている。まだ県内、東京はこれからだとか。

「国、県、東電、漁協が行った検査の結果から安全性は確認できた」。県漁連の見解。

「ブロックされている」「コントロールされている」、それとは別問題だ。極端に言えば“海の力”かもしれない。とにかく数か月間、検体を調べた結果、基準値をはるかに下回っていたということ。それは事実。

漁に出られる嬉しさと同時に、漁業関係者が一様に心配するのが「消費者の理解」。モニタリングの結果が出ても、「風評」なるものが立ちはだかる。
「国内外の風評の払拭に向けて政府が前面にたって欲しい」「消費者にわかりやすく説明してほしい」などの声が相次ぐ。
漁連の組合長は言う。「海水と魚介類の安全性は証明された。後は消費者の信頼を得られるかだ」と。

事故から2年半以上。福島県は「風評被害」なるものに苦しめられ続けてきた。

農産物から始まって、観光、漁業、果ては車や人の往来まで。
風評被害。被害者がいれば加害者がいる。それらは「風評」と言う名の如く、実態の伴わないものであり。人の疑心暗鬼がもたらすものであり、いつ何時被害者が加害者と入れ替わらないとも限らない。

風評、それは、“いじめ”に似た構図を持っていると言ってきた。それと“知性”。

政府に「風評被害が起きないようにしてくれ」と言うのは無駄な話だ。政府がいくら言ったところでそれは無くならない。

テレビや新聞のカメラの前で、福島県産のものを口に入れて、「官邸では福島のコメを食べています」と言ったところで、どうなるものでもあるまい。
逆効果もある。わざとらしさがは見抜かれているし。むかし、「カイワレ大根騒動」というのがあった。カイワレ大根にO-157という病原性大腸菌がついているという騒ぎ。そう騒ぎだったのだ。一種の風評だったのだ。全国のカイワレ大根生産者は死活問題、食卓からカイワレ大根が消えた。
菅直人が“苦渋に満ちた”表情で、作り笑顔でカイワレをほおばっていた姿を記憶している。それが風評を払拭したとは思えない。

要はマスコミが詳細な報道をせずに、カイワレ全体を悪のように伝えていたこと。検査自体が杜撰だったということ。

福島県というところは全国的に見て地名度があまりにも低すぎる。知られていないところ。辺境の地の一角。
原発事故で有名になった県名。知らないところは不気味なところ。
東北論を語るつもりはないが、「未知の国」は侮蔑といじめの対象になりやすい。
それをあげつらう人は“優越感”にもひたれる。

人の苦しいむサマを見て愉悦を覚える人もいる。燎原の火のごとく広まる風評。それに乗っていれば、そのことに関係したということで、安心して言説を言い立てることが出来る。

風評被害、それはその国の民度の貧しさを示しているに過ぎない。

風評被害なるものについて、例えば、まともな大学生のゼミなどで、徹底的に議論させてみたらどうだろう。それは何故生まれるのか、それを防ぐにはどうすればいいのか。生産者や消費者の声を聞きながら、彼らが徹底的に議論し合う。

なぜ学生と言うのか。彼らは「学びの場」にいるから。

「知る」「学ぶ」「考える」。この三つはメビウスの輪のように連関している。

まず「知る」ことから始めよう。

数週間前に書いた。「知らないことは罪なのだ」と。そう、風評とは”無知“が、”知ろうとしない“という消極さが生み出したもの。

いわゆる“差別問題”も然りかと。

「知」とは学問の世界にだけあるものではない。知る努力をしない限り、この国は永遠に“後進国”なのかもしれないということ。

経産省からJETOROに出向しているキャリア官僚の「暴言」が明らかになった。「復興不要」との大書。
ブログに書かれていたこと。その中の一行。“じじいとばばあが、既得権益の漁業権をむさぼるため”。

風評の出元は「国」なんだ・・・・。

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