2013年9月7日土曜日

宴のあと、それが遺すもの・・・。

三島由紀夫が書いた有名な小説、後にプライバシー裁判などを起こした小説。実在のモデル、都知事候補の有田八郎、般若苑の女将畔上てるい・・・。

小説とは関係ないが、いや、いささかは感情論としては連関性があるのか。
宴のあとはいつも寂しい。悲しい。後遺症がある・・・。

それはたとえば通夜の席の宴にも似て。弔問客が全員帰ったあとのその場の寂寞とした雰囲気。
家庭でやる小宴。客が帰ったあとのあの空気。楽しかった時間の余韻とともに襲ってくる寂しさ。

千利休の精神を引いた「一期一会」という“覚悟”。茶会の後の名残。

昭和30年、東京オリンピック。日本中は湧きに湧いた。テレビ中継も、どうにか様になって来ていた。

羽田から都心まで高速道路が作られ、東海道新幹線が開通し、日本中は建設ラッシュに湧いていた。コカコーラが飛ぶように売れていた・・・。

好景気に沸いた。一流の国になったと全ての日本人が“勘違い”をし始めた。
このオリンピックを機に、日本は高度経済成長路線をひた走る・・・。

経済成長に不可欠なものはエネルギー。必然として原子力発電所が作られて行った。

極論、妄言の類かもしれないが、オリンピックが原発をもたらした。

スタジオジブリの宮崎駿監督が昨日、引退の記者会見をした。その中で彼が語っていた言葉。
「ジブリを立ち上げた頃の昭和40年代、日本は浮かれ騒いでいる時代だったと思います。経済大国になって日本は素晴らしいといった具合に。ジャパン・イズ・ナンバーワン、そういうことを言われていた時代でした。
それについて僕はかなり頭に来ていました。そうでないと風の谷のナウシカなんてつくりませんよ」。

そんなメッセージがあのアニメに込められていたとは、大方の人は知るまい。もちろん亭主もだが。
同じ年の彼は、そういう表現の場を持っていて、そんな思いを込めた作品を作った。しかし、当時、その“真意”を語ってはいなかったと思う。

その頃、亭主は「何もしてなかった。ほとんど何も考えていなかった」。移り行く世の姿を、漫然と追いかけていただけ。

明日早朝、二度目の東京オリンピックの成否が決まる。成否のカギを握るのは。奇しくも「原発問題」。40年という年を挟んでの奇妙な“邂逅”とも見える。

この福島の地に身を置いて、その招致劇、原発事故をめぐる、この国の空気を伝える政治家や都知事、関係者の話は、「欺瞞と、まやかしと、虚言」に満ちている。

猪瀬は言う。「ネガティブキャンペーンと風評が問題だ」と。それの元を作ったのは誰だ。ほかならないあなた自身だ。いずれもネットにあふれる言辞を論拠としたもの。あなたはネットをこよなく利用した人だった。人である。

2020年、東京オリンピック開催が決まったとしよう。平和の祭典、スポーツの祭典、五輪憲章にのっとった「宴」が人の心を酔わす。
経済効果と称するカネが国中を席巻する。
「福島」は多分、忘れ去られているだろう。いや、開催時ではない。開催が決まった時から、付け焼刃の「汚染水対策や事故処理」は、またもや「手抜き」にされる。
決まったんだから・・・。もういいや・・・。まさかそんなことは無いと祈るが。

そして、その後、何がこの国に遺されるのだろう。宴のあとのあの空虚な都市空間と虚脱したような人の心だけか。

7年後、元の生活にすら戻れていない人が、この地には数多くいる。そのことだけは変わらない。明確に予測できる・・・。

「それでも日本人はオリンピックを選んだ」。そんな本が書かれるかもしれない。

きょうは友人の、それこそ、宮崎駿と同じ年の、告別式・・・。それは決して宴の場では無く・・・。

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