2014年10月16日木曜日

「わからない」というストレス

例えば真っ暗闇の中、何も視界に捉えることが出来ない時、どこにいるのか、どっちを向いているのかわからない時、人は不安にさいなまれ、過大なストレスを受ける。

「わからない、自分で判断できない」。大きなストレスなのだ。

ストレスは多くの疾病の直接的、間接的な要因にもなる。それが各種の疾病を引き起こし、時に“死因”となることも有り得る。

福島県で子供の甲状腺検査が行われた。“陽性”とされる子どもたちもかなりの数が出た。それが原発事故に由来する放射能が原因なのかどうか。

医者の多くは「わからない」としか言えない。それはいかに善意であろうとも、将来の発病も含めて「わからない」とした言えない。

だから親は苦悩し、ストレスをためる。いや、「わからない」と答える医者の方だってストレスを抱えることになる。

出口の無い不安。

原発事故による避難者がかかえている問題だ。出口が見えないから、いつになったらどうなるという「期限」を誰も設定出来ないから、避難者たちは、それが仮設に住んでいるかどうかを問わず、抱えている問題なのだ。
ストレスが高じる。それは疾病罹患に及ぶこともあれば、精神的病を負い、死に追い込まれる場合だってある。

「わからない」「わからない」。それは今のこの国を覆っている空気だ。

政治だってそうだ。一本筋が通っているように見えて、実情は支離滅裂。
この国の行き先も「わからない」。

今日、東証の株価はまたも大幅下落している。すぐ持ち直すのかどうかわからない。
市場原理なんて読み解けるわけでもない。

ガソリンスタンドに行った。確実に値上がりしていた。円安の影響だ。

この国は豊かな国なのか、貧しい国なのか。それもわからない。

だから、極論すれば一億総国民がストレスを抱えているということにもなる。

「わからない」というある種のパラダイム。それを生んだのが正しい情報が伝わらない。伝えられないということにもあった。それが意図的かどうかはいざ知らず、隠され続けてきたこと。今もその気運があるということ。

特定機密保護法だってそうだ。何を機密とするのかはわからない。
集団的自衛権の問題だってそうだ。戦争へのみちとなるのかどうか。それもわからない。

わからない症候群の国。

そのストレスからどうやったら逃れられるのか。ありふれた言葉で言えば「情報の的確な開示」。そして「信を置けるもの」が存在するか否かということ。

ストレス耐性という言葉がある。それを育むにはかなりの訓練すら必要とする。

人は皆、精神的に強い人ばかりではない。人間とは弱いものなのだ。

いわゆる風評ということ。あの嫌がらせのようなデマ、罵声。すでに3・11直後から、それはネット上に満ち溢れていた。福島に対してだ。

それを払拭する手段を多くの人は持ち合わせていない。
まことしやかな嘘やデマ。それは時には“正義”を装って福島を襲ってくる。

正確な情報が無いから、不信の塊になっているから、県民だって、それを真に受けてしまう。

負の連鎖だ。ストレス拡散だ。まき散らした方だって、実はストレス社会に生きている人なのかもしれない。それの発散が他者や弱者への攻撃。

こんなことを書きながら思う。実は自分自身もなにもわかっていない、わからないことだらけの中にいるのだということを。

わからない社会。そんな未知の世界に入ってしまったのかなとも。

わからない、わからない、ワカンナイ、ワカンナイ・・・。

「将来への漠然とした不安」。その一言を“遺言”にした、自死の動機と記した文学者もいた。

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