2014年10月22日水曜日

「復興」が争点なのか、くどいけどまた知事選

原発は選挙戦の争点にならないときのう書いた。

「原発政策は国が決めること」と突き放す人がいるということで。

「県知事はまず復興に意を注ぐべき」という人達もいる。広い県土。
地域によって県政に望むことも違うという。

「復興」とは何か。ずっと問うている。実態の見えない復興と言う言葉。
未だにそれを言い募る人達。

「復興」なることに関わることは、大方、それこそ国に依存していることだ。
もし、この種の言葉を用いるなら復興より復旧であり、いや、再生なのだと思う。

陸前高田では宅地のかさ上げで、そういう「復興」で、山が削られて土砂を作り出している。長いベルトコンベアでそれが運ばれている。

その種の復興とは、自然の破壊ともいえる。山にあった緑は無くなった・・・。

福島で復興を言うなら、くどいようだが、「人間の復興」だ。裁判所が賠償訴訟で指摘したように、「人格権」を取り戻すことだ。

「風評被害を無くすことだ」と求める人もいる。風評被害、それは県外から言われ出したのかもしれない。しかし、県内にだって“風評”を言う人がいる。
県産の食品は食べない、学校給食に県産のコメは使ってはいけない・・・。

県政に風評被害を無くせと求めることは意味が無い、というかそんな対策なんて有り得ない。いくら都心に物産館を作ったとしても。
総理大臣に県産の農作物を食べさせたとしても。対策になんてならない。

長崎の田上市長は、前職が凶弾に倒れたあと、市職員から立候補した人のはず。
なにか頼りなさげだった。

今、彼は世界に向けて高らかに言う。原爆被災地のリーダーとして。核廃絶を戦争への危惧を。

被爆地の首長だから、その声が世界に届くののだ。

唯一の原発被ばく県、福島。そこのリーダーが原発に異を唱えて、いや、その悲惨な体験を世に問うことに何の異やあろう。

原発の“悲劇”を伝えることが大きな責務なのだ。

民間の人が各地で「ふくしま」を伝える活動をしている。多くが、その実相を知らなかったと反応しているという。

福島県知事は原発を語り、伝えるべきものなのだ。福島県は、世の為にそれに加勢すべきなのだ。
福島が語らずして誰が語るのだ。その悲劇を。

地盤はどこだとか、政党支持がどうだとか、往時の選挙戦のような分析はいらない。もっと根源的なものが問われているのが今度の知事選だと認識する。

くどいようだけども・・・。

福島の“有力者”の中には、かなりの影響力がある層は大方再稼働はと言ってもいい。
東京の城南信用金庫の理事長のような人はいない・・・。

内向きでは無く、外に向けて、自分の言葉で語れる人を望むのだけど。

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