自然災害に「暴力的」と言う言葉を用いるにはいかがかとも思うが。やはり台風は大きな爪痕(常套句)を残していった。
田んぼはまだ水に浸かったままだ。
御嶽山の捜索。泥の中での決死の作業と聞く。
“暴力的”な溶岩流が襲ってくるかもしれない・・・。
「従軍慰安婦問題」にかかわった、元朝日新聞記者が勤める大学二つが激しく「攻撃」に晒されているという。
学校を爆破するとか、学生を痛めつけるとか。脅迫めいたメールが殺到だとか。
経済産業大臣のところには「刃物」が送り付けられるとか。
いずれも「面白がっているのか」「本気なのか」。まことに嫌な気分だ。
これがこの国の有り方だとは思いたくない。
政治の雰囲気と絡み合わせたくはないが、「安倍政治」によって、言論の自由という言葉が大きく言われるようになった。
当たり前のことが当たり前で無くなったからか。
「言論テロ」とでも言った方がいいのか。
川俣町の自死した渡辺はま子さんのこと。裁判で「個体の脆弱性」という反論があった。どう考えても「暴力的」だ。
裁判を起こすと、遺族には「そんなに金が欲しいのか」と激しい中傷が浴びせ掛けられる。
いわゆる「ヘイトスピーチ」なるものも、この暴力的言辞の範疇に入るのかもしれないし。
暴力的言辞が、脅迫がはびこる気風。少なからずネットにその一因があるようにも思える。
いわゆる2チャンネル。そこに吐き出される言葉の数々は、おおむね暴力的だ。
ツィッターのやりとりでも、時折そんな傾向を見る。
ネットの匿名性を論じてはいない。しかし「匿名」という鎧をまとって、ひたすら攻撃を、口撃を仕掛ける。
その背景にある「心理」とはいかなるものだろうかと。
県外避難者にも、所によっては暴力的言辞が浴びせられるとも聞く。
攻撃された方が立ち向かうのか、委縮するのか。引くのか・・・。
暴力的では無いにしても、避難者に対して「賠償金を貰って・・・」と非難する人達だって後を絶たない。
いじめの問題も同じだ。言葉の暴力が子供の世界に侵入している。
セクハラ、パワハラといわれる現象だってそうだ。
そしてマスコミの報道姿勢も時として“暴力的”でさえあることがある。
いまさら始まったことではないということか。
3・11後の「空気」がそれを醸成しているのか。
言葉の暴力、暴力的表現の数々。
豊かな表現力を持ち、誇れる文化としての日本語を持っているはずの日本人。
短絡的な言語だけで意に沿わない人達を、その周辺を攻撃対象とする。それに何をもとめているのだろうか。
暴力的ではないが、いぎたない言葉、醜悪な言葉、人を傷つけかねない言葉。
「まともではない日本語」が巷に氾濫している。
止める手だては無い。
なんだかきょうは、心がすさんでいるようだ。
2014年10月7日火曜日
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