2014年11月11日火曜日

「語る」ことと「沈黙」と

きょうは11日。あれから3年8か月。だからというわけでも無いが、なにやら面倒くさいことを書く。

「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。
イギリスの哲学者、ウイトゲンシュタインは著書の中でこんな事を言っている。

「私は他者である。だから私は沈黙する。それがすべてを解決する」
フランスの詩人、アルチュール・ランボーの言葉。

以前、新座高校の校長の卒業式での式辞を引用した。そこにもあった言葉。
「福島の海を見よ」と題された。

“自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為としての沈黙を作り出すのです”

先頃書いた、岡映里の「境界の町で」という本。あの時は「言葉は瓦礫となる」という著者のフレーズを引用した。

本を読み終えた。

“ある人”のペンネームである岡映里はエピローグでこんなことを書いている。
一つの問題提起かもしれない。

前後の文脈、脈絡ははぶく。

「福島を、福島の人達を、どれだけ深く知っても、所詮“よそ者”でしかない私の言葉は、“福島を消費”し、“福島を踏み荒らす”ことになるのだろうか」。
その罪悪感から逃れられなくなった。とも。


サルトルは言っている。
「生きている」ことと「物語」とは違う。とも。


たまたま福島に住みついてしまった僕が、よそ者であると思われているかどうかはともかく、3年8か月たった今、またも思うこと。

福島をどう語っていけばいいのか。福島の何を、どれを日々思っていけばいいのか。

「3・11」直後、世の中の情報源はテレビと、スマホで繋がっていたツイッターだけだった。

そのネットからは、拡散希望と書かれたさまざまな情報、真偽不明な情報が、まさに“洪水”のように吐き出されていた。

経緯は記憶にないが、岡映里とおぼしき人をフォローしたような気がする。

本によれば、3月14日の3号機爆発時、彼女は錯乱状態になって茨木のり子の詩を投稿していたという。
“私が一番きれいだった時”

それを当時みていたかどうかの記憶も無い。ただ、一週間後くらいか。パソコンが“復活”した時、同じように茨木のり子の詩を引用していた。

でも、それは、“馬鹿者よ”であり、“倚りかからず”だった。

 もはや、 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや、 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや、 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや、 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは 椅子の背もたれだけ

そうなんだ。僕は詩に溢れる言葉に倚りかかろうとしていたのだ。そして、待った。災後を書いた文学の登場を。
なかなか出会うことはなかった。書かれたものはあったが、それに浸ることとは出来なかった。語られている言葉が、書かれている言葉が、どこか空虚に感じられていたからかもしれない。

「境界の町で」がそれを埋めてくれたかというと、また別問題なのだが。

記憶の伴奏者もいなかった。居る訳がない。記憶とはその人個々人の、残すかどうかの価値判断にもよるのだろうから。

まもなく午後2時46分がくる・・・。数分間の沈黙を与えてくれるために。

0 件のコメント: