きょうは11日。あれから3年8か月。だからというわけでも無いが、なにやら面倒くさいことを書く。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。
イギリスの哲学者、ウイトゲンシュタインは著書の中でこんな事を言っている。
「私は他者である。だから私は沈黙する。それがすべてを解決する」
フランスの詩人、アルチュール・ランボーの言葉。
以前、新座高校の校長の卒業式での式辞を引用した。そこにもあった言葉。
「福島の海を見よ」と題された。
“自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為としての沈黙を作り出すのです”
先頃書いた、岡映里の「境界の町で」という本。あの時は「言葉は瓦礫となる」という著者のフレーズを引用した。
本を読み終えた。
“ある人”のペンネームである岡映里はエピローグでこんなことを書いている。
一つの問題提起かもしれない。
前後の文脈、脈絡ははぶく。
「福島を、福島の人達を、どれだけ深く知っても、所詮“よそ者”でしかない私の言葉は、“福島を消費”し、“福島を踏み荒らす”ことになるのだろうか」。
その罪悪感から逃れられなくなった。とも。
サルトルは言っている。
「生きている」ことと「物語」とは違う。とも。
たまたま福島に住みついてしまった僕が、よそ者であると思われているかどうかはともかく、3年8か月たった今、またも思うこと。
福島をどう語っていけばいいのか。福島の何を、どれを日々思っていけばいいのか。
「3・11」直後、世の中の情報源はテレビと、スマホで繋がっていたツイッターだけだった。
そのネットからは、拡散希望と書かれたさまざまな情報、真偽不明な情報が、まさに“洪水”のように吐き出されていた。
経緯は記憶にないが、岡映里とおぼしき人をフォローしたような気がする。
本によれば、3月14日の3号機爆発時、彼女は錯乱状態になって茨木のり子の詩を投稿していたという。
“私が一番きれいだった時”
それを当時みていたかどうかの記憶も無い。ただ、一週間後くらいか。パソコンが“復活”した時、同じように茨木のり子の詩を引用していた。
でも、それは、“馬鹿者よ”であり、“倚りかからず”だった。
もはや、 できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや、 できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや、 できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや、 いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは 椅子の背もたれだけ
そうなんだ。僕は詩に溢れる言葉に倚りかかろうとしていたのだ。そして、待った。災後を書いた文学の登場を。
なかなか出会うことはなかった。書かれたものはあったが、それに浸ることとは出来なかった。語られている言葉が、書かれている言葉が、どこか空虚に感じられていたからかもしれない。
「境界の町で」がそれを埋めてくれたかというと、また別問題なのだが。
記憶の伴奏者もいなかった。居る訳がない。記憶とはその人個々人の、残すかどうかの価値判断にもよるのだろうから。
まもなく午後2時46分がくる・・・。数分間の沈黙を与えてくれるために。
2014年11月11日火曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...