2014年11月2日日曜日

「“萎縮”した朝日新聞」のこと

今朝の天声人語、これには笑ってしまった。書き出し・・・。
「朝日はだいぶ差をつけられてしまったようだ。いえ朝日新聞のことではありません。本紙別刷りのアンケートで“朝日と夕日、心に残るのは?”と訪ねたら、回答者のうち朝日30%に対して夕日は70%と出た」。

なんとも”自嘲的”な筆致。

置き換えてみるのもいい。朝日新聞30%、夕刊紙70%と。「誤報事件」で社長が謝罪し、購読解約など含め、朝日新聞には批判が高まっている。
政権批判。すっかり、影を潜めた。代わりに夕刊紙が連日政権批判を繰り返している。

誤報問題をかばう気はさらさらない。しかし、あの謝罪会見の翌日から、朝日新聞はすっかり萎縮した。政権批判は著しくトーンダウンした。

朝日新聞における「ジャーナリズム」は無くなった。つまらない新聞になった。

なにがきっかけかはわからないが、安倍は朝日を毛嫌いしている。潰したいとも思っているとか。まさしく「敵」ということなのだろう。

国会での質疑でも、全紙が書いているにも関わらず、朝日だけの名前を挙げ、「捏造」と決めつけた。
さすがにこれには耐えかねたのか、翌日の社説で反論した。

しかしだ。明らかに政権攻撃は影をひそめ、時によっては政権の政策にすり寄るような報道ぶりもある。

ジャーナリズムとは批判精神だ。誤報で購読者離れを起こし、これでは経営が立ちいかないということなのか。
ほぞを噛んでいる記者も多かろう。

敢えて言おう。批判精神を無くした、朝日新聞に存在価値は無いと。余計に読者を減らす“負の連鎖”に陥らないとも限らない。

明らかに政治に関する記事は減った。書くべき時に書かない。

数日前、毎日新聞の写真記者と席を同じくした。東京本社の人間だが、3・11以来、福島に時々足を運んでいる男。

「光輝く東京に戻りました。やはりどこかほっとします。それと同時に、“うしろめたさ”を覚えます」。被災地のあちこちを取材して帰京し、書いていた感想。

今回は知事選の取材も兼ねていた。バンザイする内堀事務所。彼が撮ったアングル。一緒にバンザイをする自民党の根本と民主党の玄場が並んで手をあげている光景。
その一枚の写真が、今度の知事選の「茶番」を映し出している。

彼に朝日の“萎縮”を問うた。そうだという。代わりに頑張って気を吐いているのが東京新聞だという。毎日は・・とは敢えて聞かなかったが。

その毎日が、今日の社説で、「捏造」発言を捉えて、明快なジャーナリズム論を展開していた。

古い話だが、かつて毎日新聞は“倒産”の危機に見舞われた時があった。当時幹事長だったか。田中角栄がこう言った。「毎日は潰さない。新聞社が潰れるというのは国がつぶれることにも等しいのだ」と。別に当時の毎日が、自民党寄りであったわけでもない。批判的な論陣も記事も書いていた。

田中角栄という男の「識見」だ。毎日は「再起」した。

朝日の内部のことは、社風のことも、以前書いた。記者の奮起を願う。フランスのリベラシオン紙の例に倣うべきだ。

たぶん、朝日内部でも様々な記者の自己批判と反省と再起が記者の中であるのだと思う。
経営を編集に反映させない体質作りの模索も。

でも、安倍の“攻勢”に尻尾を巻いている負け犬のように思えてならない。冷静さを保ちつつ、反転攻勢に出てはいかがかと。
さまざまなジャーナリズムが存在することに意義があるのだ。

余談だが・・・。その天声人語。なぜ人が夕日の魅かれるかについての結論が、いかにもさびしい。それが書かれていない。西方浄土という思想が日本人にはあるということだ。自明のことなのに・・・。
コラムまでもがつまらなくなっているとの感あり。

日はまた昇ると書いていた。それが「自己弁明」にも読めてしまう。

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