2014年11月7日金曜日

「言葉は瓦礫になってしまった・・・」

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鹿児島県議会は川内原発再稼働を承認したと。県知事も“同意”しているはずだ。“地元”の市長も然りだ。
延々と続いていか県議会。傍聴席からは怒号が飛んだともいうが、いわば「予測した」結果になった。

国会では東電の常務が、「地元とは30キロ圏内」だと答弁していた。それを官房長官は否定していた。昨日の話しだ。

川内原発は再稼働する。またも「福島の悲劇」が起こりかねない。可能性はそれこそ排除できないはずだけど。

再稼働反対の声は、言葉は、「無力」だったのか。

とにかくもうこれ以上「悲劇」を見るのは嫌なのだ。ありうべき悲劇を。

有り得ることは起こる。有り得ないことも起こる。政府事故調の畑村委員長の言葉を確かめる。

今、一日数ページしか進まないが、「境界の町で」という本を読んでいる。
過日記した毎日新聞の写真記者が推奨してくれた本だ。

小説なのか文学なのか、フィクションなのかノンフィクションなのか。はたまた私小説なのか。それはわからない。著者の岡 英里という33歳の女性ライターのことは初めて知ったのだから。

引き込まれる本だ。

東京の出版社に勤める主人公。つまり著者自身。
東京のビルの中で「3・11」を体験し、テレビで流れる「人探し」の報に接している。私には探す探す人がいない。誰も私を探してはいない。安否確認のことだ。孤独と言う表現があったかどうか。
数年前に「別れた、捨てられた」男に会いに行く。その男は銀座でバーをやっている。自転車でたどり着いたその店はやっていた。いつものように。客が来るはずもないのに。

とにかく、彼女は福島に引き寄せられる。郡山に着く。「彼」とよぶ男に出会う。元暴力団。避難してきている。若い衆を使って除染にあたっている。
彼の故郷、20キロ圏内。楢葉町で父親が蕎麦屋を始めていた。

東京と福島。何回もの往復。足は伸びて行く。飯舘にたどり着く。そこの住人の老婦人と言葉を交わす。借り上げ住宅、桑折町のアパートに引っ越す直前。


「私のどんな言葉もこの場所では無力だ。私の言葉は、彼女が彼女自身の言葉で再現した津波と原発災害と家庭の離散劇の前で、すべて瓦礫になってしまった」。

昨夜、そのくだりに傍線を引き、本を閉じた。まだ読み進めなければ、筆者の心情は見えて来ないが・・・。
2014年、この筆者が福島とどう関わっているのかもわからないが。

ネットで検索したら柳美里と親交がある人であり、相馬のFMラジオにも出演しているということのようだが。


2011年3月11日。その夜は小さなテレビを前にして、三陸を襲う津波の映像。原発の危機の情報、いわば身近なことに神経が集中していた。翌日もその翌日もだ。

“故郷東京”。そこの模様もテレビは伝えていた。駅の構内で泊まる人、とにかく歩いて「待つ人」がいる家路を目指す人・・・。

例えば東京で、そこで、それぞれの人が、あの出来事をどう捉え、何を悩み考えていたのか。そこに思考は及んでいなかった。

この本の中にも「風化」という言葉が出てくる。忘れるということも出てくる。

もちろん「社命」ということもあるだろうが、あの毎日新聞の写真記者が足しげく福島に通うことの、東京から来ることの心情とどう見るのか。いささか、この本で“補完”されたような気がして。

言葉が瓦礫になる。どう理解すればいいのか。言葉は無力なのだろうかとも重なって。

「言葉」をめぐって、まだ自分自身の中でも整理されていないことが沢山ある。整理できるのかどうかもわからない。

「日常は哲学に溢れている」とある哲学者が言っていた。言葉と沈黙についてもさまざま哲学的考察もある。それらを自分の中で、どれを取り入れ消化するのか。
「考える」ということを、また新たに始めなくてはならないような・・・。

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