2014年11月18日火曜日

「亡くしたものは取り戻せるのか」

高倉健が亡くなっていた・・・。83歳。その報に接した時から虚脱状態が続いている。

言い様のない「喪失感」に覆われている。
冥福を祈る。その言葉でしか表現できない追悼の意。そのありふれた言葉しか持ち得ないことが悔しい。

去年の今頃、文化勲章を受章した時の穏やかな笑顔が印象に残っている。

何よりも彼の、それは遺作と言っていいのかどうか。降旗康男監督の「あなたへ」という映画。
東日本大震災の翌年の映画だった。テレビのメーキング番組でしか見ていなかったが、亡き妻の遺骨を海に散骨するために老漁師の大滝秀治に船を出してもらったシーン。

大滝が言っていたセリフが忘れられない。深々と礼をする高倉に。
「久々に綺麗な海ば見た」。

「3・11」を引きずっている身にはあのセリフは忘れられない。海一筋に生きてきた男の哀歓。そのセリフを引き出させたのは高倉健だったと言う・・・。

大滝と言い高倉と言い、いい俳優さんを失った。俳優、役者という言葉は無くなり、タレントと言う言葉しか残らなくなるのか・・・。

海、失ったもの・・・。沖縄への連想。

知事選で当選した翁長が言っていた。安倍に何を問いたいかと聞かれて。
「日本を取り戻すと言われるが、その日本の中に沖縄は入っているのですか、と聞きたい」と。

こんな明確な意思表明を聞いたことが無い。沖縄人の、日本人への“同化”を求められ、強制されてきた民族の底にある意識なのだ。

切り捨て。無意識の差別。そして無関心。

それら本土にあるものに対する沖縄県人の真っ向からの直球勝負と感じた。

死者は蘇らない。亡くしたものは大きい。失われた日本。それを取り戻すと言うことへの体験に基づいた警鐘・・・。

日本人は覚醒すべきだ。そうあらためて思う。

政府は沖縄に対してどれだけの誠意を見せたのか。痛みを分かち合って来たのか。残念ながら分かち合っていない。本土にあった基地を沖縄に押し付けた。
そのことの「痛み」も感じていない。

基地に関して言えば、アメリカの意向を「忖度」しているに過ぎない。

それは福島の「痛み」についても言えることだ。いや「東北の痛み」もだ。

分かち合うと言われて“合言葉”はどこかに消え失せたように。

東北は3年8か月。沖縄は69年間。

69年後の東北、福島の姿は想像の彼方のようだ。

今夜、安倍は解散を表明すると言う。何を言うのだろうか・・・。

そして、政治のうねりの中で、沖縄は埋没する。福島はしばらくは忘れ去られる。

1F構内では、汚染水の問題すら、結局何も前進していない・・・。

日本はどこに向かおうとしているのだろう。

寡黙であり、謙虚であり、常に他者を思いやっていたという高倉健。背中で語っていた男。

世間は常に饒舌であり、強者は時として横暴なくらいに、“支配”し、他者への思いやりは無くなっていく。

喪失と虚脱感・・・。

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