2014年11月25日火曜日

「豊かさ」に思う昭和と言う時代

高倉健に刺激されたというわけでもないが・・・。

あの任侠映画がなぜ人気をはくしたのか。若者に。
全共闘運動に敗れ、“破壊”することの無意味さを感じたからか。
自分たちの無力さを彼に託したのか。
“立ち向かう”勇気を、それも孤高で。それを取り戻したいと思ったからか。

全くの個人的感想である。でもそれは僕の中に“内在”していたものかもしれないから。

もちろん高倉健も相知らぬ、関知せざることである。いやゆる、当時の“左翼”にシンパシーを持っていたはずもないだろうが。
「満員の観客に驚いた」と言っていただけである。
自分の映画を小屋に一人見に行って。

今日は病院の定期顔見世の日。医者も高倉健の死去が悲しいと言っていた。そのことを話したかった様子あり。でも、またの機会に。患者さん待っているんだから。

任侠の健さん、昭和と言う時代。

―その時の事象には、それなりに意味があるー。誰かの言だ。

なぜ、高倉が任侠の世界から離れたのか。
男の生き様が、価値観が、時代と共にかわったからかもしれない。

「男は強くなければ生きられない。男は優しくなければ生きてい居る資格が無い」。

強さから優しさへ。「モーレツからビューティフルへ」。
一人の映画俳優はその二面性を持たなければならなかった。
いや、持つ必要があると感じたからだろう


「豊かさ」。

高度成長時に求めた豊かさ。政治も国民も、それはこの国全体が豊かになることと思った。そういう政治もあった。

そして経済成長は、高度経済成長は、その望んでいた「豊かさ」をもたらした。

それが“副作用”を生んだ。水俣をはじめとした各種の公害。そして、原発。

その副作用は「一部のこと」として、視界から外されてきた。

豊かになれなかった人もいた。山谷や釜ヶ崎のドヤ街に巣食う人達・・・。
豊かさに疑問を持つ人は、いわゆる「ヒッピー」となって、白い目をして見られながらも独自の社会を築こうとしていた。

三種の神器は手に入った。車も持てた。団地に住めるようになった。車が公害を引き起こすなんて考えてもみなかった。便利なのだから。便利と豊かさは同居していた。団地が崩壊し、“負の遺産”になることも想像の外だった。

バブルの崩壊、リーマンショック。時代にズレはあるが皆「カネ」にまつわること。

そして原発は健在だった。もう一回「豊かさ」を取り戻そうとした。その豊かさは、平成になって求められた豊かさは“平等”を目指した豊かさではなかった。

富む人はより富み、貧しき人はより貧しく。

今の経済政策。「トリクルダウン」と言われるその考え。上を富ませばその余慶が下に滴り落ちてくるという経済理論。

落ちないんだ。

例えば結婚式であるシャンペンシャワー。上のグラスから下のグラスにシャンパンは落ちてくる。そのピラミッドが上手く積まれているからだ。

今の社会構造の中では、うまくピラミッドは構築されていない。一番上の豊富な水を持っている人は、水を落とさないのだ。

ジャブジャブと市場に供給されたカネ。呼び水。それはどこかで堰き止められている。

平等を目指した豊かさ。格差を生み出す豊かさ。それは昭和と言う時代をどう見るか、いま生きている平成と言う時代をどうみるかにかかっている。

戦後の平和と豊かさを支えたはずの沖縄米軍基地。多くのエネルギーを供給し続けた原発。そして今なお、依然としてそれらに頼ろうとする人達・・・。

高倉健の背中に「昭和」という文字を感じるのは、けだし、当然なのだろうが。

「昭和レトロ」という“文化が、もてはやされているとも聞くが。

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