2012年9月13日木曜日

「顔」について

それが伝えるべきニュースなのかどうかは判断の分かれるところでしょうが。

またもや「政治屋」さん達が連日テレビに登場してきました。

総裁選、代表選候補者。「大阪」に“都落ち”した陣笠・・・。

どれを見ても、これを見ても、碌な顔をしていない。人品骨柄、これ顔に現れると言いますから。

世間一般でもそうだけど、人は「顔」で判断します。好き嫌い、善悪、もろもろ含め。

「40歳になったら男は顔に責任を持て」なんて言われたもんです。要は顔に、表情にその人の人柄含めて、すべてが現れるからということでしょうか。

すでにして、そのとってつけたような言辞ともども、権力を目指そうとする人達の顔に飽き飽き。そろってほざく。「私が日本を立て直す」。無理です。そう本当に思っているとしたら勘違いも甚だしい。

3・11後、テレビで連日のようにいろんな人の顔を見てきました。総理大臣はじめ、官房長官や、保安院の広報担当。
一時は常連だった学者さん達。なんか、みんな嫌な顔をしていた・・・。

そしてほとんど顔が見えなかった東電の社長さん達。

そして政治家さんやマスコミさんは言う。「選挙の顔」が必要だと。この「顔」って、いわば人気取りってことでしょ。だから民主の一部は真紀子にまで触手を伸ばし、自民党は進次郎にまで秋波を送った。

この人達の顔もそうだけど、「信を置ける顔」って誰なんだい。
テレビは怖い。どんな顔をした人が伝えているかってことが大きな要素になる。
アナウンサーやキャスター。これもほとんど居ないね。信を置ける顔の人って。

その人が読んでいるだけで、そのニュースの価値が下がるような感覚になる顔のアナウンサーもいる。

表情や語り口含めて、「うん、こいつはいいな」と思えるのはNHK仙台の津田喜章アナウンサーだけか。自らも“被災者”である。
彼の目線は、完全に被災者目線だと感じる。
去年以来、彼が担当している「被災者の声」という“番組”には訴える力があったと。

人は、「顔」で判断される。どんな顔をした人が言っているのか。それによって伝わり方も、その内容の印象も変わる。

「顔」の見えない、どこのだれだかがわからない人達が言いたい放題の「顔が見えないネット」って嫌だ。

顔が見えない人の言辞に翻弄されている人達は哀れだ。

テレビが映す顔のどれがいい?。苦しみや悲しみを笑顔に変えようとしている被災者たちの顔がいい。男も女も。とくに年寄りの顔がいい。なぜなら・・・「嘘をついていない」から。

政治屋さん達の顔には「嘘」が透けて見えている。気づかないのは本人だけ。

顔から一番遠いところは・・・。地球を一周させた自分の背中。

男の背中、親の背中と言う。単なるロマンかもしれないが。親の背中を見て子は育つという。物を語らない背中が、一番物を語っているという。

テレビは一回やって見たら。政治家さん達に後ろを向いて貰い、背中比べを。

他人のことを言っている場合じゃない。亭主の背中は・・・。はい、完全に背筋は曲がり、背骨は歪んでおりまする。

顔は・・・。ネットではこのブログ含めて全面公開しておりまする。ただ、それはいずれも数年前の写真にしかすぎませんが。

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