原子力規制委員会に関する新聞記事。職員が大方経産省から来ることなどに触れ・・。
「早くも規制行政の信頼回復には程遠い人事」との指摘が出ている。
きのうこんな記事を見てしまいました。
規制委員会のことはさておき、この記事にある「指摘」。どこから指摘されているのか、誰が指摘しているのか。
こういう書き方は嫌いだ。取りようによっては第三者を装って“客観的”と言おうとしているのかもしれないけれど。
書いた人が、社がそう思っているんでしょ。だったらそう書きなさいよ。
この手の記事ややり方は枚挙にいとまが無い。
「批判を呼びそうだ」とか昔流行った「成り行きが注目される」とか。
「予断を許さない」「反響を呼びそうだ」
社説、論説でもよく使われる常套句。結語は常に「問いかけ」口調。
記者会見でもよく使うこのやり方。質問で。「なになにという批判もありますが、いかがですか」と言った調子の。
もし僕が質問されて当事者だったら言い返す。「それは誰が言っているのか」と。
自らの主張や考えを明らかにせずに、いわば「世論」みたいなものに、それを勝手に推し量るような感じでの記事。あえて言わせてもらえば「幽霊記事」だと。“誰が”が無いのだから。
曖昧な表現ということなのか。問題提起と投げかけ。そして、悪者と作りたがる。責任を誰かに押しつけようとする。
出所の明確でないことを敢えてよしとする。
今、この世の中は、まさに“混沌”で覆われている。カオス。
それを打破出来ない。民主党をけなす、自民党の総裁選もけなす。二世になんとかと。
それを“指摘”して、その上でどうしようというのか。
常に「投げかけ」で締めくくられてしまう。
新聞が明確な「指標」を書いた、示したとする。必ずそれに「反対」したり、何らかの烙印を押そうとする。
悪者のつくりっこ。もう、いささかうんざりしている。特に原発事故その後の「責任のなるり合い」。それもうんざりだ。
はっきりしない。わからないことだらけの世の中。一挙に冷え込んだ秋の気配のように・・・。