2012年9月23日日曜日

・・・彼岸まで。

雨のお彼岸・・・。きょうまでか。寒いです。
酷暑から一転。

暑さ寒さも彼岸まで。よく言ったものです。そして、徐々にではなく急に季節は短い秋に。

正岡子規の句。「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」。

暑さ、寒さ。温度計による数値がそれを示します。それとともにあるのが体感温度。
身体で感じる温度、人によって違う温度差。暑さも寒さも、その地で体感して味わうもの。

今持って言われる「温度差」という表現。被災地とそうでないところと。“被害地”とそうでないところと。致し方ないことなんでしょうが。

ある夫婦“喧嘩”に遭遇しました。知り合いの夫婦。久しぶりにあったのですが。

放射線による被害、避難をめぐって。夫は言います。「とりあえず政府を信用しようよ。その数字をもとに考えて行動すればいい」。妻は言う。「政府の言うことも、マスコミの情報も、ネットも信じられない」。小学生の子供を連れての“避難”を持ちかける妻。夫は応じない。

こんな会話が去年、ずっと交わされていたとか。あげく喧嘩、妻は家出したと。

「え、どこに家出したんだい」とボクは思わず聞きます。
「言えの周り・・・」。

「離婚話しにまでなりかかったんですよ」。夫がボクに説明する。

去年の会話がまた繰り返されている目の前の光景。

妻に聞く。「危険だ、避難しようとなんで、何を基準に判断したんだい」。
「皮膚感覚ですよ。母親としての」。

皮膚感覚か・・・。「その皮膚感覚っていうのがわからないのですよ」。また夫。

もう突っ込まない亭主。これ以上、去年を持ち出しての喧嘩は勘弁と。

「うちの会社にもいましたよ。皮膚感覚で避難っていう女性社員が」。

皮膚感覚か・・・。それに基づいた行動か・・・。難しいな・・・。

「感覚って言われるとこっちが降りるきゃないんですよね」。夫はそう言って後は飲んだ。


・・・彼岸。彼岸の入りの日、近所に住む、元同じ業界の先輩、同業他社の方が亡くなりました。86歳。
きょうは告別式。参列してきました。そして知りました。
亡くなった方は南相馬の原町出身。津波で生家は流され、親戚12人が流された。

去年、3・11後、確かにあまり見かけなくなっていました。かなりふさぎこんでいたということです。

彼岸に行った人達。此岸にいる我々。お彼岸の終わりとともに舞い込んでくる冷気。皮膚感覚だけじゃない、こころの中にもしのびこんでくるような秋・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...