妙という言葉がある。用兵の妙、人事の妙。妙とは、優れていること、うまいことと言った意味。言い得て妙というように。
人事の妙。「組織」の人事をどう決める、どう扱うかによって、その組織や集合体の在り様は大きく変わる。
だから、得てして、社長は、ほぼ一年間“人事”に終始する。人事がその会社の命運を決めることすらある。
例えば、戦時中、いや戦前も。当時の内閣の顔ぶれがどうであったか、それによって、戦争の帰趨も含め、この国のありようは変わっていたかもしれない。いや変わっていたはず。
政界。政権党の人事、内閣の閣僚人事。誰を起用し、何を目指すのか。そこに“人事の妙”があるはず。
記憶の限りでは、いや、経験の限りでは、佐藤栄作は人事の妙を見せた数少ない政治家だった。バランスを考え、敵も取り込み、任すところは任せ。池田勇人にもそれがあった。
官僚上がりは特に人事に意を用いる。経験則として。それが生かされていた時代。
いつの頃からか。派閥順送り人事と言われ、派閥均衡と言われ、滞貨一掃とも言われ、およそその任に相応しくない人達が、そのポストについた・・・。
政治の劣化は人事がもたらした。そう言っても過言でない場合が多かった。
人事は人事権者である内閣総理大臣が行う。そこには、必ず意図がある。その意図を読み取り、何を考えているのかを記者や評論家は読み解く。
明後日に迫った自民党の総裁選。「選挙の顔」「選挙の顔」と言う。言い古された陳腐な言葉・・・。でも、現実、選挙に「顔」は必要なのだ。ある種の“人気投票”となっている以上。
だから、真紀子や進次郎が一時候補として取りざたされた。
どこまで持つのかわからない野田政権。メディアは報じる。輿石幹事長再任。この顔は選挙の顔にならない。
政調会長に細野を持っていく。幹事長代行に安住を。少なくとも細野は選挙の顔になり得る。
野田人事も選挙目当ての人事だと。
少なくとも細野は原発担当大臣として、環境相として、もちろん評価は定まってはいないが、「福島」を知悉している数少ない政治家。
野田はかつて言った。「福島の復興なくして日本の復興無し」と。細野は言った。代表選辞退の理由に。「福島」の解決のためにやらねばならないことがあるからと。
その任を野田が外す。彼にとっては福島は眼中にないってことか。福島よりも選挙の顔探しとしか見えない。輿石は党内バランスのための、政権延命のための姑息な手段。
細野の後任に誰を充てるか。真摯に向き合えるのは誰か。残念ながら、悔しいことに、その候補が浮かばない。居ない。
福島県選出の玄葉光一郎。尖閣問題でも為すすべ持たず。そのポストを持てあましているような。彼とて福島担当の任に非ずとしか見えない。哀しいかな。
その人事をもって何を遂行しようとするのか。それが見えない。延命、保身、選挙のための人事・・・・。かい離は新たなかい離の始まり。そして“絶望”・・・。
人事の妙を尽くしたつもりが、大いなる人事の誤りであった、いや、もうすでに言える。誤りだと。
政権は人事によって崩壊する。内閣改造、党役員人事、それを起死回生の手立てとする“常道”も、野田の力量ではだめだったということか。