2012年9月28日金曜日

「安酒の酔い」。村上春樹は語る

作家の村上春樹が朝日新聞にエッセーを寄稿した。前振りは一面トップ。東アジアの領土問題に関して。

「国境を越えて魂が行き来する道筋」と名付け、いわゆる文化交流の視点からだが。それを塞いではならないと。
長くなるが一部を引用―。

国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

村上春樹作品のフアンである。彼の著作の大方に触れた。彼の作品は中国でもベストセラーに入る。

なぜこの時期に、いやこの時期なのだろうが、朝日が村上に書くことを依頼し、なぜ村上がそれを快諾したのか。経緯、意図はわからないが。

3・11後、彼の著作を期待していた。知り得る限りでは、彼は沈黙したままだったような。ドキュメンタリーノベルとしてオウム事件の後、ウアンダーグラウンドを書いた彼が、それはどこかで作家の視点から、オウムの本質をついていたような気がしたからか、「3・11とその後」について書いてほしかった。

それはともかく、「安酒の酔いに似ている」。ある意味うまい表現かもしれない。
安酒。戦後、いや、それから10年以上経っても、新宿の西口の線路際にあった立ち飲み屋のような居酒屋。そこで大人たちは毎晩のように安酒を、メチルアルコールのようなものをひっかけ、何やら喚き、暴れ、殴り・・・。
その居酒屋街は、いわばバラックの建物であり、その狭い通りは喧騒に満ちていた。そして退廃の匂いがした。そんな大人たちを、隠れるようにしながら見ていた・・・。

村上エッセーをどう読むか。人それぞれだろう。上手い比喩だと言えばそうだ。メタファと言えばそうだ。メタファ、それは村上が好んで使う言葉。
安酒という一語が、ボクには、戦後の光景に重なる。安酒、その二文字は戦後を語るに足る表現として映る。彼はこの二文字に何かの意味を持たせているのかもしれないから。

もう一つ。作家で僧侶の玄侑宗久が地元紙、福島民放に寄せた日曜論壇の一節も引く。

「全国的にも決して高い線量と言えない会津地方にさえ、風評被害が及ぶ現実・・・。福島と聞けば怯えるこの国の人々が、日本製品は買わないという彼の国の人と、大差なく見えて仕方がないのである」。

その日、その日を、狭い視野で追い、見る者、読む者に的確な判断材料を与えないマスコミよりも、文学者の視点の方が、はるかに鋭いのかもしれない。

かつて、漱石や龍之介がそうであったように。

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