2012年9月21日金曜日

「ネット」が日本語を壊していく

ツイッターに手を染めたのはいつだっただろうか。もう数年前。3・11のもちろん前。その頃は、ツィッターの神々という本を書いた著名ジャーナリストが自分の本を“宣伝”し、番組の“宣伝”をし、多くの人は、いまどこにいるとか、何を食ったとか、「なう、なう」を連呼。「なうは英語の今だろ」なんてその用語に、その用語を使うことで、ある種の仲間意識、コミュニティーを共感していたようだが。

ある日驚いた。若い子のツイートにリプライ(わざと使うその用語)したら、返ってきたのが「あざ~っす」。
とっさに思ったのが、こいつおれをバカにしている。あざといと言っている・・・。
違っていたんですね。あとからその“意味”聞いたら。ありがとうございますの略、ツイッター用語だったんだということ。

3・11以降、ツイッターを始めた人が多いらしい。以前にやっていた人達はかなり引いた。なぜか。そこに書かれる言葉のあまりにも汚さ、内容のおぞましさだと。

3・11直後、確かにツイッターは役立った。その効用はちゃんと認める。しかし、今は・・・。デモの招集ツールじゃないか。それは日本だけにとどまらず、最近の中国でもしかり。

SNSという言葉が日常化され、それらは「社会的地位」を確保し、「市民権」を獲得した。
はい、私もそれに多少はお世話になっていますが。

SNSなんて言葉が出る前のネット。チャットが流行り、2チャンネルで飛び交ういぎたない言葉の数々。そこで見る「ORZ」という顔文字。
携帯も顔文字のオンパレード。その意味はさっぱりわからない。orz
が泣くとかひざまずくって意味の表記だくらいはわかっているが。

日本人の国語力が著しく低下しているという。原因は携帯含め、通信機器で変換してしまうから、字を書かなくなったからだという。子供がそうだという。
教育。まず国語教育をまともなものに変えないと、この国は滅びる。

そして「言葉の乱れ」。一歳上を「1コ上」といい、「むかつく」が常用化され。
挙げればきりが無い。ネットというか通信機器という便利さの引き換えに失われた、失われていく日本語。

ひとえにテレビの影響が大きい。受け狙いも含めて、テレビに出ているタレントと称する人達が吐き出す意味不明の日本語の数々。それが吐き出されるやいなや、それは“日常語”として、生産され、消費されていく。その風潮に飲み込まれていくオトナ達。若者に媚を売るかのごとく、それらを受け入れようとする識者、マスコミ。

東京ゲームショーというのが開かれている。若者が殺到し、両手を忙しく動かしながら画面と格闘している。ゲームソフトの多くが“殺し合い”。誰も痛みも苦しみもしない殺し合い。

ゲーム機の主流はスマートフォンに移ったという。
スマートフォンの新機種が発売になった。アイフォン5。発売に合わせて若者が並ぶ、徹夜してでも。テレビはそれを極めつけのニュースのように伝える。リポーターまで動員して。
完全に「商業主義」に埋没している、させられている、乗せられている・・。

世界に名だたる大富豪の一人はマイクロソフト社のビルゲイツであるという。

ネットは享受すべき文明の進歩なのか。文明を退廃化させる産物なのか。

ネットで買い物をすることを「ポチる」というのだそうだ。クリックのことをいうのだろう。マウスの。
パソコンを持ちだしてなにやらやっている人に飯舘村のばあちゃんが言っていた。「おたまじゃくし動かしていて何がわかるんだろうね」。カーソルの動きは彼女たちにはおたまじゃくしの動きに見えたのだろう。それは蛙に変わらない。

金儲けと便利さが同床異夢で結びついたネット社会。分岐点は来るのだろうか。来てもいいような気がする。

あながち「うがった見方」ではないと思うのだが。うがった見方、それはおうおうにして勘ぐったり、ゆがんだ見方だと思っている人が多数だ。
実際は違う。うがつは穿つ。穴を深く掘ること。物事の本質を深く考え、真相を捉えた考えという意味なのだが。
テレビのキャスターさんまでが間違えて使っている。勘ぐりと捉えている。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...