自民党総裁選、まさに“政権交代”になるような騒ぎであり。それに隠れたような、民主党の閣僚、党役員人事。
そんな“大物”の騒ぎをよそに、こわっぱどもが何やら蠢いている。自民党を離党、民主党を離党、みんなの党を離党。
もはや泥舟に乗っているのは身の危険とばっかりに、維新の会にひたすら頭を垂れ。見苦しい。
政治家は好んで「憲政の常道」という言葉を使う。あるべき姿と捉えよう。
簡単な話し、比例区で政党名の名のもとに当選した議員は、他の政党に行くのは裏切りである。新党の場合はその限りに非ずということで、法的には許されている。しかし、道義的にはおかしい。
壊滅寸前のみんなの党の江田幹事長が「議員辞職をしてから行くべきだ」と激怒したというが、その通り。
でも議員辞職した“議員”は維新は欲しくない。政党要件を確保するためには現職が必要。
少なくとも有権者は、その政党に所属しているからということで一票を投じたわけだから、特に比例区は。鞍替えは選挙民の“民意”を覆すということになる。
泥舟に愛想を尽かして、船の中で書いたという八つの“政策”を旗印にしている大きくなるかもしれない船に身を預ける。卑怯なる振る舞いと。
潮目を見て乗る船を変える。乗った舟も泥舟になりかねない。たぶん成る。
こういう奴らを称して言う。「新しものがりや」と。
中国の古典は、今や中国のものではない。中国は儒学を含め、先人の教えを捨てた。よきものはよしとする律義な日本人はその教えを咀嚼する。
貞観政要の一節。
「君は舟なり、人は水なり。水は能く舟を載せ、亦能く舟を覆す」。
自民も民主ももはや泥舟。その泥舟の船長目指した争いが今行われている。
どんぐりの背比べ。お池にはまってドジョウがこんにちはって出てくるのか。
どじょうも泥舟。
選挙はどうなる。それまでにまた潮目は変わる。
福島に対する、被災地に対する潮目は、潮の見方は変わった。もう見るべき潮目ではないような。舟は来るのか。人々は未だ漂い続けている。
そして尖閣列島波高しだ。この国の向かう先が見えない。