今日は5月の1日。震災から50日余り。何かをしょうと人は動いているものの、時が止まってしまっているという人のなんと多いことでしょう。
5月1日はメーデー。労働者の祭典。東京の日比谷公園や代々木公園には多くの人が集まっていることでしょう。
立て万国の労働者、とどろきわたるメーデーーの♪。かつてはそんな歌声がメーデー会場に響き渡っていましたが。
毎年、毎年、賃上げ、賃上げの声がこだましていましたが。
たぶん、おそらく、今年は大震災復興を叫び、原発反対の声が、シュプレヒコールがわきあがっているのかと。
なんか時流に乗り遅れまいとする”原発反対”の声のようにも聞こえてくるのですが。
正面切って「原発反対」を大衆運動としてやっていた人はもういなくなっていたはず。その勢力が再び頭をもたげはじめた。けっこうなことなんですが、なんとなく切迫感の無いシュプレヒコール。
メーデーを歌って踊ってという”コンセプト”で包んでしまった時から、原発反対勢力はいなくなっていたような。
さわやかな五月の風の中を風船片手にそぞろ歩くかのようなデモ行進。「ゲンパツハンタイ」と口に出すことで免罪符を手に入れたような気分になっている人達とも。
放射能の恐怖にさらされている現地と、メディアでそれを”情報”としてとらえている人達との、まさに温度差を覚えるのです。
3月11日で時が止まってしまった人達にも、ある意味、情け容赦も無く、薫風薫る皐月なんです。時や、時間という営みは人の意思とは無関係に・・・。一年間で一番良い季節を連れてくる・・・。
3月11日も、歴史の中のたった一日だった。それを思う今日の5月1日も、歴史の中のたった一日。
その日、一日、一日をどうにかして乗り切って、乗り越えていかなければなたない。そう思いながらも、いたずらに時は流れて行き、取り戻すことはできないけれど。
もはや精神力との戦い。
しかし。だれしもが強い精神力を持っているわけではない。多くの人が負けそうになっている。
頑張ろう、つながろう、団結しよう、絆で結びついている。さまざまな言葉が投げかけられる。投げかけられる言葉が、弱り切った心根に届いているのか。いささかの励ましを与えているのか。強い精神力を鼓舞してくれているのか。崩れそうになる心の支えになっていてくれているのか。
言葉は強いのか。言葉は無力なのか。
導き出せぬ答えを探そうとしているような。
テレビの魔法。繰り返される音声としての言葉よりも、一頭の犬の表情の方が、流れ星を追う目線の方が、人のこころに届いているのかもしれない。
こッつん こッつん ぶたれる土は
よいはたけになって よい麦生むよ。
朝からばんまで ふまれる土は
よいみちになって 車を通すよ。
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か。
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。
放射能汚染によって地面から削り取られた土。行き場を失い、ビニールシートの覆われたまま放置されている土。
もし、金子みすゞが生きていたら、今のこの国の姿を見たら、どんな詩を書いてくれただろうか。どんな言葉で我々を支え、癒してくれるのだろうか。
誰かがどっかでなんか言っている。言葉は聞こえるのだけど、さっぱり心には届かない。華やいでいるはずの五月が、悲しい季節になっているような・・・。
2011年5月1日日曜日
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7 件のコメント:
亭主さま
天声人語にあったエミリー・ディキソンの短詩「失意の胸へは だれも踏み入ってはならない 自身が悩み苦しんだという よほどの特権を持たずしては・・・」
書は言を尽さず 言は意を尽くさず。でもこの短詩は意を尽くしているようにガツンと響いたのです。
TACOの胸には・・・。
かりそめに
死者二万人などといふなかれ
親あり子ありはらからあるを
酒飲みて
眠りてあした目が覚めて
夢だったかといへたらよきに
(救助されたる漁師のいへる) 長谷川 櫂
いきいき生きる
いきいき生きる
ひとりで立ってまっすぐ生きる
困ったときは目をあげて
星を目あてにまっすぐ生きる
息あるうちはいきいき生きる
しっかりつかむ
しっかりつかむ
まことの知恵をしっかりつかむ
困ったときは手を出して
ともだちの手をしっかりつかむ
手と手をつないでしっかり生きる
井上ひさし
釜石小学校の校歌だそうです。
言葉は強いと思います。
涙腺がまたゆるゆるになりました。
「長谷川 櫂さん」です。変に打たれてしまいましたので。
tacoさま
きますね。しかし、踏み言っている人も多々。苦しみや悩みをどう分け合うか、共有するか。それができれば日本は再生の可能性あり。
あさきゆめみしさま
励まされます。泣けます。泣くってすごくいいことだと思います。涙を流せるうちはまだ人が人で居られる。
素晴らしい詩をありがとう。感謝します。こころから。一緒に涙腺ゆるゆるに限りない温かさを感じます。
言葉ではいいつくせない感謝の気持ち。
強い言葉を探す旅をするつもりです。
亭主さま
「分かちたる喜びは倍の喜び 分かつべき人がいるは幸福なり」は「分かちたる苦しみは半分」とも読めるのです。
明日お会いしましょう。
tacoさま
放射能が心より歓迎いたします。よろしく(爆)。
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