2011年4月30日土曜日

わからないことばかりで・・・

文部科学省や県は福島県内の大気中の放射線濃度を常時公開しています。テレビの画面ではスーパーで流されています。

とりあえず何の対象地域にもなっていない郡山市や福島市。このところ微減。だいたい毎時1,5とか1,6マイクロシーベルトで推移しています。

郡山市や福島市には原発30キロ圏内から避難してきた人であふれています。安全地帯と思いきや。計測結果は、この両市よりも少ない放射線量の20~30キロ圏内の地域多々あるということ。少なくとも大気汚染の数値は少ないのです。そこの住民が、汚染数値の高い所に「避難」してきているという”矛盾”。

まだら汚染を同心円で括ったことの皮肉な結果。

数値には問題なくても生活環境に問題多々ありで帰りたくても帰れない人達。物流無し、人気無し、医療機関無し。避難所の方がとりあえずは食えるって。いつまでこの生活続くのか。先は全く見えない。わからないこと。

小佐古という東大教授が内閣官房参与を辞任した。内閣のやっていることは「場当たり的であり、ヒューマニズムの精神に反する。小学校の子供に年間20ミリシーベルトという許容基準を押し付けるのは、法と正義の観点からも許し難い」と。

内閣官房参与って菅に呼ばれて適切な助言を行う立場ってことだった。はい、やはり出ました「身内の反乱」。
「これを許せば私の学者生命は終わり」と言っているとか。実際の帳簿や会計書類見たわけじゃないけど、東大にはかなりの研究費が東電から渡っていたはず。その時点で、すでに学者の良心や生命は終わっていたのと言いたくもなる。

彼の言っていることが正しいとしよう。たぶん、正しい。ただ、わからないのは記者会見して自論を披歴して、これが”正義”だといわれるとなんだか、わからない気持ちなる。

少なくとも彼の発言を受けて郡山や福島の子を持つ親は不安の極致。「我々は不正義のもとで犠牲を強いられている」。混乱はさらに広がる。

今は「戦時下」だ。大本営発表を信じることの愚かさを、あの第二次世界対戦を経験したもの、学んだものは知っている。だから大本営発表に異を唱える人がいることは大歓迎なのだが。

学者にもピンからキリまで。いろんな立場の人、いろんな考えの人がいる。そしてすべての学者に共通していえることは、すべてが未体験ゾーンだということ。

学者の正義と、国家の正義とは。人類の正義とは。

わからないことばかりだ。己の信ずる道を行く。それだけが正義なのか。

東電の正義とは。毎日のように露呈される東電の隠ぺい実態。東電の発電所の中での正義と東京本店の正義には、格段の温度差がある。下請けの作業員の正義。また違う次元が存在している。

すでに終わったことだろうが、東電の社長が東京に戻るために自衛隊機を使ったところ、「俺は聞いてない、知らない」と搭乗を、運送を却下した大臣。なにがなんでもあらゆる手段を使って本社に戻すべし。陣頭指揮に当たらすべし。それが国家として、政権として、あの時の正義の行使のひとつだったのでは・・・・。

結果、帰京を遅らせておいて、東電が悪い、社長がいなかったと責めることで事足れりとしていたような政権。もし、社長不在が、あのベントの遅れの一因になっていたとしたら・・・・。

メディアは一日だけ、この事の顛末を、なんとなく書いただけ、放送しただけ。後追い記事は見かけず。だいたい、自衛隊機に乗って離陸寸前まで行ったのはたしか。乗ることを許可した人がいるはず。
パトカー先導で、通行止めになっていても車は走れた東名をなんでひた走りにはしらせなかったのか。

あれやこれや思いつくまま。わからないことばかり。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...