2011年4月21日木曜日

「福島県」、「フクシマ」

福島県は日本全国で面積は三番目の広さの県です。例えば新潟県が上越、中越、下越と分けられているように、浜通り、中通り、会津という三つの地域に分けられています。とにかく広い県です。

数年前、テレビのクイズ番組かなにかで日本の白地図を出して、「福島県はどこ?」という問題があったとき、殆どの回答者は答えられませんでした。それほど有名な県ではなかったのです。名前さえはじめて聞いたという人もいたくらい。

今や、福島県はすっかり有名な県になりました。外国にも知られる県になりました。なってしまいました。原発のおかげで。東京電力福島原子力発電所が、福島原発、福島原発。

「東京電力が東京方面に電気を供給している発電所なんだから、東京原発と呼んでよ」。県民の一人はそう言った。

福島は目下全国”ブランド”。恐怖の震源地。野菜も魚もダメ、ダメ。車の入れない、人が行けば疎まれる。放射能をまき散らすと。こころない”無知”な人がいうならまだしも茨城県では市役所の課長さんまでがスクリーニングしてこいと。

東北新幹線が復旧している。今月末には全線復旧。え、福島県民専用車両ってのをつくるのかい。大宮や上野、東京駅でスクリーニングさせられるのかい。

ゴールデンウイークという季節がやってくる。東京に家族で行く予定のひとがいる。真剣に考えているそうだ。行くのをやめようと。車で行くことにしていたが、あらぬ差別やいやがらせに耐える自信が無いとか。

車で言うと、一番”被害”受けているのが「いわき」ナンバー。続いてが「福島」ナンバー。会津は数年前から「会津」ナンバーに。会津ナンバーで”被害”の話は聞いた事無し。亭主は福島ナンバー。東京に家があったなら喜んで福島ナンバーで東京に乗り込んだのに。行くとこ、行く用ないから行かないけど。もし、行って、いやがらせでもされたらやりかえす。喧嘩になって警察来たらどっちが悪いか判定してもらう。まさか警視庁のお巡りさんまで公務執行妨害なんていって亭主を捕まえないとおもうけど。

昨夜。久しぶりに表で酒飲みました。塾生達と。10人。福島の酒飲んで、福島産の料理で。カンパ~~イの声もいつもより賑やか。そして話題は”差別”に。みんないろんな経験していました。悔しい思いを語っていました。

口害。口から吐き出される”放射性物質”。汚染度はレベル8だと。

だいちゃんにギターを持ってきてもらいました。みんなでうたいました。心を一つにして。上を向いて歩こう。見上げてご覧夜の星を。そして、自衛隊員も泣いて歌った長渕剛メドレー。お店の人も交じって。

みんな、こぼれそうになる涙をこらえながら、押し殺しながら、なんどもなんども歌いました。

塾生達もいささか心が晴れたようです。歌っていいな。音楽っていいな。

今日は菅総理大臣さまが来県しています。避難所では相当文句言われているようです。一晩、原発難民の避難所に泊まっていけばいいのに。避難所のメシを一緒に食っていけばいいのに。たった一晩。ダンボールの”小屋”で、普通の人達だった人が、もう、一ヶ月以上、暮らしているのです。
黙って、耐えて、寄り添って。

亭主がいきがかり上、福島県民、郡山市民になってから20数年。言ってみれば流れ者。住めば都というわけでもない。成り行き。福島県”産”の塾生達は、流れ者を慕っていてくれています。

成り行きでなってしまった浜通りの原発難民。中通りの避難所で何を思うか。住めば都なんて決して思っていません。

東北人は我慢強いから。ふざけんなよ。我慢するにも程があるって。やり場の無い怒りを菅にぶつけてみても、去った後には虚しさだけが残るのみ。

今の福島県は、明治政府によって、時の役人のさじ加減で線を引かれた行政区画。400年以上前に会津藩主だった蒲生氏郷が、伊達藩への出城として築いたのが杉妻城。今の県庁のあたり。浜通は岩代の国。中通りの一部も岩代の国。いわきは磐城。磐前の国と言った。磐前県と若松県と蒲生氏郷が名付けた旧福島県を無理矢理一緒にさせて出来たのが、今の福島県。気候、風土、気性、それぞれ違う。

福島・フクシマでなんでも一つに括るなよ。国境って誰が決めたの?。県境って誰が決めたの?役人の机の上でのちょっとした鉛筆の線のずれ。

20キロ圏の線の1メートル中か外かで何かがそんなに大きく違うの?

これまで気にもしてなかった福島県という呼称がなぜかいとおしくなってきた。

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