2011年4月20日水曜日

もうひとつの”絆”

大震災以降、「絆」という言葉が満ちあふれています。
ことば。人生はことばとの出会いからはじまります。言葉を通して想いを伝えること、その繰り返しが、人と人との絆を育みます。こんなコピーのようなものも最近見ました。

被災地へのボランティア活動。絆です。義援金も絆です。一通の手紙も絆です。絆プロジェクトと銘打ったキャンペーンも行われています。

絆という言葉の意味は、断つことの出来ない人と人との結びつきと。

たしかに。今、目に見える絆や、目に見えない絆で、我々は結びついているようです。絆を確かめ合っています。絆という言葉に支えられています。

郡山のデパートで、あすから一つのイベントが行われるそうです。写真展。「いぬ」。

写真家の岩合光昭さんの写真展です。その案内文にはこう書いてあります。

「走ること、待つこと、従うこと」。

自然の中で人間とともに生きる犬を、写真家・岩合光昭は「完璧な存在」といいます。人と犬の関係は古く、地球上、人の暮らしがある場所ではいつも犬が一緒でした。日本人と日本犬は、ともに約1万年を暮らしてきたといわれます。列島のうつろう四季のようなさりげなさで、長い間共に歩んできたのです。また、主人である人と犬とはよく似るともいいます。人が犬に似ていくのか、犬が人に似てくるのか、それとも似たもの同士がはじめから惹かれあうのか─。いずれにしても、人と犬の間には、歴史がはぐくんだ深く強い絆があるようです。

そうなんです。犬と人間には強い絆があるはずなんです。

絆という字の語源は、犬や馬などの動物を繋ぎ止めておく綱と言われます。

大震災は、原発事故は、この「絆」を断ち切りました。いや、例えば気仙沼で津波に呑まれ、屋根の上で漂流していたバンは救助隊に助け出され、飼い主のもとへ戻りました。絆は復活しました。絆を切らなかったシーズのバブは飼い主の83歳の老女を高台に導きました。

原発20キロ圏内。多くの犬や牛が、絆を失い、さまよっています。瓦礫の中を当てもなく歩く犬の後ろ姿・・・。飼い主の匂いをまだ、探しているのか・・・。仲間と小さな群れを作り、お互い、寄り添うようにさまよっている犬や牛・・・。30キロ圏外にまで来いよ。歩けよ。

動物愛護団体などがずいぶん保護したようですが、まだまだ。あの子達の運命は・・・。絆は・・・。一概に飼い主を責めるわけにもいかないでしょう。
でも、敢えて危険区域に残り牛や馬や犬に餌をやる。動物がいるからここを離れない。そんな人達の気持ちもわかります。その絆が伝わってきます。

郡山の避難所にも犬を連れてきた人が大勢います。避難所の中には入れないから寒い車の中で寝たり。ペット用に充てられた寒い駐輪場でケージの中にじっとしていたり。

避難所では人と人とが絆を感じ、犬と人とが絆を確かめ合っています。犬を介して人と人との新たな絆も生まれました。

非情のようにも見えるテレビの映像。首輪を付けて、絆であった紐をふりほどいて、かみ切って、多分、絆を探し求めている犬・・・。やせ細った牛・・・。

あの犬の後ろ姿を見たら、たぶん、山頭火さえ何も詠めないと。

余震に怯えながら、身をふるわせて抱かれに来るゲンキ。震える身体のぬくもりと体温にこっちの心が落ち着きを取り戻す。縁あって授かったゲンキとの絆。絶対に絶やさない、切らない。放さない。

放射能を懸念して”外出禁止令”をくらったゲンキ。待っているし、従っている。ちょっと待ってろよ。走ることを忘れるなよ。飼い主はだいぶ足が弱ってきたけど。一緒にな。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...