2011年4月24日日曜日

「望」という字、言葉。

今朝は町内会の恒例、溝掃除。朝8時から約1時間。空は昨日と真逆。澄み切った青空。この空の青さの中に放射能がいるなんて・・・。そんな天気でした。今は、また雨・・・。

どっかのブログかツィッターに書いてあった。「町内会の表での行事に参加していいものか、迷ってる」て。馬鹿な。参加当然でしょ。なんで無意味に怖がる放射能。測定値みてよ。一年間表にいても問題ないはず。

大人は皆集まったけど子供の姿は無し。「外出禁止令」らしい。心配ごもっとも。御無用なんだけど。と思っている亭主。この太陽の下でこどもたちを遊ばせてあげたい・・・。

年間100ミリシーベルトでガンの発症率0,5%とか。可能性として。太陽で免疫力付けておいた方がいいのでは・・・。ま、これは年寄りの言いぶんか。だけど、おやじ。あんたの吸ってる煙の方が発ガン率高いよ。
とはいうものの、すべて学者の未経験予測。放射能の安全基準、健康への影響なんて、ちゃんとした学説は無し。だから余計にイメージで怖い。

昨夜は仲間たちとの恒例の酒飲み会。先月は中止。放射能のせいじゃないづすよ。会場が営業しなかったから。

佐藤眞人さんに依頼。フルートと歌詞持ってきてもらい。皆で、12人で歌いました。もう恒例の曲。見上げてごらんよるの星を。上を向いて歩こう。乾杯・・・。店の親父も加わって。
そしてみんな泣くんです。歌の力。一緒に歌える仲間の居ること。きっと「普通」の生活に戻れる。そんな望みをこめて。、星に願いを、望みを託して。

「こんな未曾有の大震災時に総理大臣であったことは政治家として”本望”だ」と菅は言った。
望みがかなって満足に思うことをいう。また、かねがね抱いている志をいうー辞書は本望の意味をそう書いている。本懐とも。ちょっとひねって解釈すれば自己満足の世界。あんたには本望でも、俺たちには絶望だわい。
見え隠れする、いや、まる見えの功名心。

希望を失い、それでも一筋の望みを何かに託している人達。それが、やがて無意味なかなわぬ望みとわかった時、いや、もうそうかもしれない。失望に変わる。

あんたには”望み”があっても、我々には”望み”が無い。

せめて月か星でも望むか。

新聞紙上にあったちょこっとした記事。今年度の政党交付金。

民主党42億円、自民党25億円。公明5億6千万、みんな2億7千万、社民1億9千万、国民新党など4党に数千万ずつ。総額800億円。通年では320億円。復興財源がどうだこうだの空回り議論の中で、政党にはこれだけ多額の金が無条件にわたる。少なくとも政治家はそれに異を唱えない。

政治にたいする失望の念はより増す。

この金が無ければ政治は機能しないのか。いや、そんなことは無い。今、この非常時には“無駄金”と言っていいのかもしれない。今年度の交付金なくても政党はつぶれない。

被災地では、被災者は、1,000万円の融資受けられず倒産するところ多々あり。

政権交代に望みを託した。何かが変わると願望した。なんか、すべてが灰燼に帰したような気がして・・・。

被災地の小学校の教室に貼ってあった生徒が書いた習字。「希望」という字。
一抹の希望であっても捨てないで歯をくいしばっている人達・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...