知り合いの地元の暴力団組長から電話がありました。「ちょっと相談にのってくれ」。相談の内容は大体想像がつきます。金の無心じゃありません。
約束の待ち合わせ場所へ。ホテルのロビー。資料片手に待ち構えていた組長。
本題の前にやはり話題は原発問題に。なんたって街に人が出てこない。静かで死んだような繁華街。こりゃ暴力団にとってもまったくもって困ったこと。シノギがあるかどうかは別問題にして。
この組長はなかなかの勉強家。郡山で行われた長崎大学の山下俊一教授らの講演をしっかり聞きに行っていて。「いやあ、安心したよ。あの先生たちの話を聞いて。今の郡山の放射線量、なんら問題ないって。質問に全部答えてくれる。表に洗濯物ほしても大丈夫ですか?、布団干しても大丈夫ですか。答え。布団干したら取り込む時パタパタ叩くでしょ。それでもし放射能が付いていても落ちますよてな具合でね」。「大体俺らは今の放射線の何万倍も今まで浴びてきてるらしい。先生は長崎の被爆二世。説得力あったね。それよりも困ったのは解体したコンクリや鉄材を関東圏の産廃屋が受け取らないこと。どっかの穴掘って埋めるしかないって嘆いてる奴がいる。農作物もそうだ。風評被害で買ってくれない。あはは、地産地消だな」。やけ気味なり。
「大体だな、この福島県選出の国会議員ってあれ以来何してるんだ。某なんて最初に地元に戻ってきて行ったところが大病院の入社式。おめでとうって。バカヤロ!」。
で、依頼の件。震災直後、彼の所属する広域暴力団はすぐさま動いた。群馬。神奈川・静岡などなど。トラックに支援物資満載で郡山へ。13日の未明には避難所に物資搬入したとか。組員数十人の手渡しで。持っていた資料はその物資の詳細。半端な数じゃなかったです。よくもまあこれだけのもの持っていたなって。暴力団抗争に備えての籠城物資じゃなにかいって(爆)。
毛布が500枚。水は五千ケース。その他もろもろ。なんでもかんでもとんでもない数。
なんか勝手な名前で置いて来たらしい。「東京ボランティア協会」とかなんとか。暴力団の差し入れじゃ受け取る方も困るから。
「名前出すとまた世間さまから暴力団の売名行為って言われるからね。大変だよ若い衆は。小指隠すのに全員手袋。寒かったから長袖着てたんで手首の入れ墨は見られずにそんだけど。おろして積み上げるのに5時間かかった。さすがに疲れたね。でよ、一応受け取り貰わないと調達してくれた他県の組に顔が立たない。しかし、役所には言えないし・・・。ま、なんとかなったけど・・・」。ブツブツ。
「で、お願い。近々本部で全国の親分集めた例会あり。そこでお礼を申し上げねばならない。お礼のあいさつ考えてくれや」。
しらねえよ。暴力団に通じるあいさつ文なんて。
そうは言ってみたものの、彼らに避難した人達がいささかなりともお世話になったことも事実。役だったことも事実。
「なんとか考えてきてよ。あとはこっちで業界用語にするから」。あはは、やはり業界用語かい。
これも”ボランティア活動”の一環なのかな(笑)。どうすっぺ。
ま、オバカな役に立たない政治家よりも反社会的勢力の方がいささかまともだったような。そんなお話し。
2011年4月9日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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