2013年7月14日日曜日

原発は「危険」なのだという“証明”

原発再稼働に向けて動き出した日本。再稼働申請は規制委員会が審査する。

規制委員会の審査基準。そこには避難計画が出来上がっているかどうかというものがある。

子供でもわかる話。いくら世界最高の安全技術で作られた原発でも、事故を起こす可能性はあるということ。その可能性があるから避難基準を、避難対策を審査の要件にあげている。

福島の事故のようなものでなくても、つまり津波がというようなことでなくても、地震がというようなことでなくても、人為ミスだってありうる。あまり論議されてないが、テロだって十分ありうる。それも直接的なテロ行為、“乱入”“爆撃”という暴力的なものではなくても、サイバーテロ。原発の内部のコンピューターシステムを“破壊”すれば大きな事故が起こりうるということ。

だから、規制委員会の審査基準というものは、「避難」をその要件としている以上。「危険だ」という前提に立っているというのが至当なんじゃないかということ。

絶対安全ならば避難計画なんてなくていいはず。

仮に事故があったとして、30キロ(少なくとも)圏内はどうなるのか。福島を知ってもらえば十分わかるはず。

15万人の避難民。その数は当該県の当該地域の人口によって違うだろうが。
そしていったん避難すれば、風向きにもよるだろうが、そこは何十年も、いや、一生帰れない区域になるということ。

放射性物質による汚染もさることながら、今、福島県内のあの地域に大量に発生している野生動物。

ネズミが家を食い荒らし、齧り、生息地になってしまっているということ。
あと1年もすれば、福島県内の避難区域の生態系はもっと変わるだろう。
ネズミに食い荒らされた家。ネズミが侵入して停止した冷却装置。

おとぎ話の例えにネズミを語っている場合じゃない。ゾウよりもイノシシよりも怖いネズミ。

“原因不明”の地下水汚染。海への流出。壊滅的な沿岸漁業。国家財政を崩壊させかねないような多額の賠償金や後始末。
行き場を失った汚染物質、そして使用済み核燃料・・・。

問題点をあげれば、素人が危惧しただけでも気が遠くなるのだ。

「福島の決着がついていないのに、再稼働を言いだす東電の考えは理解不能だ」。新潟県知事の言っていることを平易にいえばそうなる。そして、それは、当然の話しなのだ。

一時期、原発で潤った町であったことを、双葉郡の人たちは後悔している。
原発再稼働がなければ、財政的にも雇用でも商売でも、たちかなくなる町や村が出来る。それは十分わかる。でも、一朝事あれば、すべてが灰燼に帰すということを知って欲しい。福島からの学びはまさにそのことなのだから。

「収束宣言」を出した野田や海江田は枝野は、今、どんな思いなのだろう。
一言の“詫び”もない。
脱原発だけを言ってまわっている菅に至っておや。

中間貯蔵施設建設に向けての“調査”が始まった。30年間の“ねむり”。民主党政権が決めた“愚策”は、これに関してはそのまま踏襲されている。

中間貯蔵施設のある地域に、はたして帰還する人ありや。

再稼働の判断は、「安全」という判断は規制委員会がするものではない。政府だ。
避難生活でどれだけ多くの人が亡くなったのか。仮設では死にたくない。そんだよね・・・。
避難暮らしは人間関係に抜き差しならぬヒビを生んだ。修復不可能。かつての仲間がののしりあう。

「日本はひとつだ」。あのスローガンは何を意味していたのか。
「不都合な真実」だけは、立地自治体にだけ押し付けられる。住民判断だと押し付けられる。

あらゆる意味において、それは限りなくキケンなものなのだ。電気が足りる足りない以前の問題として。

きのう、経済同友会の面々が「フクイチ」を視察した。どこまで見たのか、どれくらいいたのか。吉田元所長の遺影の前にも立った。そして長谷川代表幹事はこう語ったという。産経新聞の記事。

「経済再生やエネルギーの安定供給には、原発がどうしても必要だ」と職員を激励した。


語る言葉を持ち得ない。

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