2013年7月3日水曜日

中央と地方と

きのう新潟の巻町の原発のことを書いたら、そのあと伝えられてニュース。
東京電力が新潟の柏崎刈羽原発6,7号機の再稼働申請をするという話し。
取締役会の議決だと。

新潟県知事は怒る。「信頼関係を破壊する行為」だと。「地元に何の説明もなく決めるのは許せない」と。矛先は東電に向かう。

東電の社長は言う。「コストダウンは図るが、原子力が無ければ今の料金体系は無理だ」と。

早速、産経新聞は書いていた。「運転再開に必要な地元の了解を得るのは厳しい情勢だが、再稼働が遅れれば、電気料金の再値上げも視野に入る」と。

脅しだね。これは。いいじゃないか、再値上げを皆で共有しようよ。都会の人だって生活は苦しい。値上げは勘弁だ。ただでさえ、物価は上昇している。

東電が新潟にいって「丁寧な説明」をしようとも、知事は「議論はしない」と言っている。

批判の矛先は東電に向かう。何しろ料金値上げまで言うから。でも、考えてみれば、東電は矢面に立たされているだけ。あの事故直後の菅の怒声が象徴するように。

再稼働をしたいのは国。中央政府。政府の意を汲んで、あるいは言われるままに、東電は再稼働申請を言う。政府は東電を「悪者」にして、“再稼働”を進める。

だから、新潟県知事も東電と対峙するだけでなく中央政府と対峙すべきなのだ。経産省にいた経験もある泉田知事。裏の裏までご存知だと思うから。

なにかあれば中央政府は地方を平気で切り捨てる。

長年、自民党の中に浸り、官僚にも知己を得、その他さまざま“永田町”のやり方を、時には癒着までして見てきたから敢えて言う。
議員も官僚も、もともとはどっかの地方の出身だ。しかし中央の権力の座に身を置き、そこに慣らされると、そこの論理にはまり込む。

この国の「社会システム」の為せる業・・・。

僕は、思想的な反原発でも脱原発でもない。それは嫌いだ。でも、原発は止めようといい続けている。

これは福島県に住んでいる者しかわからないかもしれない。

単に原子力発電所が事故を起こし爆発したとう事象ではないのだ。

多くの民が流浪している姿を、離散している姿を、怯えている姿を見て、知った結果のことなのだ。

もしかしたら単純な「感情論」かもしれない。しかし、原発が人間を人間で無くしてしまうという現実をこれまでもかというくらい見てきたからなのだ。

4歳の時、戦争の恐ろしさを体験した。多くの死人を見た、触った。満州から命からがら引き上げてきた体験を持つ、その過酷さを体験した同級生の話を聞いていた。戦後のあの「飢え」の中で育った。食えないということの辛さが身に染みている。だから戦争は嫌なのだ。

きのう夕方仮設に行った。夕焼けの中、たばこを吸いながらそこの人たちと話す。結局、話はあのダンボールハウスのことに行く。

原発事故が無ければ会うことはなかった人たち・・・。

あの時、犬2匹を乗せて逃げてきた軽自動車。毎晩、あの寒かった頃も、熱くなりかけていた頃も、犬は身を寄せ合うよいにして車の中で“生活”していた。

その車は「廃車」にしたという。ポンコツのマニュアルの軽自動車。ナンバープレートがはずされて車がまだ仮設には置いてあった。

もう乗れないし乗らないし。税金払っているのもばかばかしいし。と言う。
避難所で探すときの目印だったその車。

「なんか、懐かしいね」。お互い声を掛け合う。廃車のところで“記念写真”を撮る。

仮設に住む、見知らぬ人たちはおおむね「うさんくさそう」に僕を見る。

それが何故だか知っている。取材や支援だとか言って自分たちの都合のいい事だけを「取って行った人たち」がいたから。

後半は表題とは無関係な話になってしまった。とにかく原発はいらない。情緒論だよと諌められても。

ブルーベリーを買ってきました。官邸では福島のコメを食べています。全力を挙げて支援します。これだって情緒論だとも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...