2013年7月31日水曜日

「福島原発」という名称

日本には54基の原子力発電所がある。4基は壊滅しているが、原発であることには変わりない。

54基のうち、その名称に県名が付けられているのは福島と島根だけ。他の原発はそれが作られている地域名が付けられている。

泊、川内、浜岡、玄海、伊方、柏崎、刈羽・・・なんという県にあるのか。とっさに答えられる人は少ないかもしれない。当該道県の人を除いては。

福島原発の立地地域は双葉郡の大熊町と双葉町である。二つの町に敷地がまたがっている。しかし、双葉原発とも、大熊双葉原発とも呼ばない。呼ばないではない、その名称は付けられていない。

なぜ「福島原発」なのか。原発建設の話が持ち込まれ、積極的に誘致したのが、当時の福島県知事はじめ、県当局だったからだろうか。

仮に、仮にだ、「双葉原発」という名称であったなら、“福島”という名前が、忌避され、嫌われ、差別や同情を、“フクシマ”という表現も、FUKUSHIMAという外国からの表記もなかったのかもしれない・・・。

しかし、そこは「福島原発」だった。「東京電力福島第一発電所」だった。その名称が付けられ、県民がそれを“甘受”してきた以上、そえがもたらした災禍の結果は、県民全部が“共有”しなくてはならないのだ。

風評被害なるものが、遠く百何十キロも離れた会津地方にまで及んでいるのも“共有”ということの一部なのかもしれないが。

約200万人の福島県民の中には15万人の避難者を、どこか他人事のようにみている人もいる。自分のこととして受け止めてはいない人たち・・・。

福島県人が、福島県を見るとき、そこに様々な人たちがいるという福島の実相。

強制避難は0キロで止まった。一時は50キロという話も出ていた。アメリカは80キロまで自国民を避難させた。
事故後、コンパスで同心円を書きながら、計りながら、自分が住んでいる地域が県発から何キロ圏かを“確認”していた人もいた。

避難があったかどうかだけではない。避難すると否とを問わず、福島は皆、大きな“被害”を蒙っている。

事故直後、マスコミの多くは、東京からの指示で50キロ圏内でさえ、取材を自主規制した。線量を図れば大方はわかることなのに、勝手に線引きしていた。

その一事が、今のマスコミ不信への伏線にあるのかもしれない。

一昨年書いたことと同じようなことを書いている。

同じようなことを何回も書いているということは、何も変わっていないということの証左かも。

断片的に伝えられる事故現場の報道。

汚染水処理問題、地下水汚染。東電社長の言を聞いていると「お手上げ状態」という感じがしてくる。
収束どころか悪化しているような感じさえ受ける。

工程表もへったくれもない。数千人の人が“収束作業”に従事しているのもかかわらず、“前進”は見られない。

そこに国が全精力を投じているとはとても思えない。「福島の事」とされているのかもしれない。

福島を乗り越えて、そこをほったらかしにしておいて、次なる再稼働に邁進しなければならないのだろうか。
この国のエネルギー事情なるものは。

きょうも伝えられる浄化装置停止のニュース・・・。


いまさら何を言っているのか。同じ話の繰り返し。そうですよ、年寄りは何回でも同じことを話すものなんですよ。

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