誰も奇異に感じていなかったのだろうか。選挙前も選挙中も、選挙後も。
民主党が政権を獲った時、ネコも杓子も、政治家もマスコミもこぞって使っていた。
「マニフェスト」「マニフェスト」。その大合唱。
マスコミが名付けた「マニフェスト選挙」なる奇怪な呼称。あげく「アジェンダ」だとか。鶏冠頭のお調子者が。
マニフェストなるものが与野党問わず作られ、本編や概要も。あげく長妻厚労大臣は登庁時、職員を前にその冊子を掲げ、「これが私の考えだ。よく読んでおくように」。
あの時も、このカタカナ語の乱用、濫用にずいぶん文句を言った。どこの国の選挙だと。
なにせ“舶来志向”の日本人気質。というわけでもないだろうが、新し物がりやってことなんだったんだろうか。
3年前の選挙後の国会でも、マニフェストという言葉が飛び交い、それに違反したとかしないとか。
政治家様やそれを取り巻く党職員、政策秘書なる連中。
カタカナ語を使うことで「新しい時代の到来」とでも思っていたのだろう。
なにせマスコミが諸手を上げて、カタカナ選挙に加担した。
そして・・・。
今回の参院選。マニフェストなんて言葉は登場しなかった。政策とか公約とか。
それらの中身はともかく、「日本型選挙」を“取り戻した”。
アジェンダと叫んでいた人は「理念」と呼び名を変えた。
しかし、新たなカタカナ語が登場して。
アベノミクスとか、ネット選挙とか。
アベノミクスの“正体”は未だわからない。でも、あの時のマニフェストなる言葉に酔いしれていた国民は、中身も判然としないアベノミクスという言葉を“好んで”使っている。
ネット選挙解禁。一番悪乗りしたのがマスコミ。未だに、ビッグデータなどを使って解析に余念が無い。ネット、ネット、ネット。
その“価値”や“意義”を無理やり構築している。
多くの事例は上げないが、ネット選挙運動が行われても、投票率の向上にはつながらなかった。
「ネットで、ワンクリックで、ポチとなで投票できるなら選挙の参加したと思う」。若者は言う。そうなのだろうか。
どうも、かなり昔から、マスコミは「日本語」についての定見が無いようだ。
新聞用語事典なる冊子はあるものの。
テレビのデジタル化。高画質に加え、言われたのが「双方向」。双方向の典型はネット。“視聴者参加”と銘打ったわざとらしい番組。
いいんだよ。テレビは一方通行で。送りぱなしで。
テレビのデジタル化という「国策」が、ネット選挙にまでおよび、意思表示の場をネットに預ける。そんな「社会システム」が考えられていたのだろうか。
TBSの夜中のニュース番組。“ツイッター問答”なるコーナーがある。寄せられてツイートを紹介するだけのようなコーナー。問答にはなっていないし。
ネット信奉派と懐疑派のおおいなる「乖離」。
マスコミの悪癖。役所や発表者の言葉をそのまま使うこと。それを使わないと「知らない人」にされてしまうという“恐怖”。
読者や視聴者は無関係。
なにを、こんなことをいまさらと思われかもしれないが、「3・11」後、少なくとも原発事故に関して、さまざまなカタカナ語、役所用語、電力会社用語の、わけのわからない“学者”が使う「業界用語」に翻弄された。
そんなカタカナ語に始まる「専門用語」は、勝手に解釈され、いい加減に流布され・・・。
「相手を、人を煙に巻くときは、わざと難しい言葉を使えばいいのさ」。そう“教えて”くれた高級官僚の顔を今もよく覚えている。その相手の中には政治家も入っていた。
サミットという言葉のフルネームを意味をどれだけの人が知っているのだろう。
GDPのフルスペルや意味をどれだけの人が知っているのだろう・・・。
日本語を取り戻そうぜ。