きょうから暦は替わった。7月。すでに今年も半分は終わり・・・。
当たり前の事であり、嘆くに値することではないのだが。
一昨年の7月。僕の周りでは、ビッグパレットにいた避難してきた人たちがようやく仮設に移り住んだ頃。
夏を控え、彼らがやっていたこと。仮設住宅の南側に面した窓の外に「グリーンカーテン」を作ることだった。
葦簀を張り、緑の植物をプランターで植えて。
その頃思った雰囲気。部屋にはエアコンがある。でも、極力エアコンを使うのを避けようとしていたような。
電気を作るところの事故で住む場所を追われた。電気を使うことへの、なんとはなしの違和感、そんなものがあったような。
毎月10万円の“賠償金”で暮らしている人たち。
「金が無くては暮らせない。賠償金は貰うが、貰うたびに、受け取るたびに腹が立ってくる、怒りが込み上げてくる」と。
今日の新聞の歌壇に載っていたうた。福島市の人。お借りします。
「種が継ぎスミレ苧環(おだまき)花ざかり、放置のままの除染待つ庭」
なにやらわからない、意味不明のような記事やコラムが並ぶ新聞。その中で「歌壇」や「俳壇」には“事実”があると。
7月1日。世界文化遺産に登録された富士山の山開き。テレビは山頂からも中継。押しかける人、人、人。
富士の景観をほめそやす。ご来光を見て万歳を。みんな大喜びだと。
富士山の景観は、何度も見たけれど、どこから見ても美しい。美しい自然に触れ、美しいものを見たとき、人の心も「美しく」なれるのか。
集中一過性。そんなこの国の人たちが持っている“精神性・空気”。登録されようとされなかろうと富士山は富士山だったのだが。
葛飾北斎は富嶽三十六景という絵を描いた。実際は三十六枚でなく四十六枚だったとも言われる。
その中で北斎は「不二山」と記している。不二の山。
もちろん「二つならず」。唯一無二の景観という意味もあるだろう。かたや不二という言葉には人間の煩悩をいましめた仏教的意味合いもある。
富士山は、その頂上にも鳥居があるように、そして浅間神社をいただくように、信仰の山であったはず。観光の山でなく信仰の山。
“山岳信仰”は日本人の根底にあるものだが。先祖の霊は山に上がり、そこから平地を見ているという。少なくとも東北人の祖は持っていた魂。
強力が担いで上げていた山小屋の荷物。今はブルドーザーのようなもので運んで行ける。
富士山測候所。山頂にあるそこのレーダーは気象予測、予報に欠かせない場所だった。そこを男たちは苦難を乗り越えて守っていた。雪に覆われた冬の時期でも。
その測候所跡をテレビが映していた。何気なく。
文明の進歩は、その測候所も必要としなくなった。そこは文化遺産に登録されようが何をしようが“廃墟”なのだ。その建物も残っている富士山頂。
月尾嘉男さんからメールが来た。富士山を巡るテレビのバカ騒ぎに辟易しているらしい。
「マスコミは全く報道しないけど、世界農業遺産の今年は三か所が登録されれているんですよ」と。
農林水産省のホームページをたどっていくと、この世界農業遺産についてこんな記述があった。
「戦後、高度成長を遂げ、経済大国の仲間入りを果たして久しいわが国において、農業の近代化と並行し、伝統的な農業・農法、農村文化や生物多様性、農村景観などがシステムとして保全されており、その維持に努めている地域が認められた」と。
残念ながら福島県にはその登録遺産の該当地域が無い。今後、将来、あり得るのか・・・。
数々の優れた農作物を都会に供給していた農業県だったのに。
埼玉県の加須市、そこの“廃校”になった高校にある避難所。そこでは、未だ109人の人が暮らしている。そこで三回目の夏を迎える。
そこの人たちから出る言葉。ほとんど「あきらめ」に近い言葉の数々。
かつてビルが林立し、空気が汚されていなかった頃、加須市からも富士山は望めただろう・・・。