1ミリ、1ミリシーベルトのことだ。放射線量。年間の被ばく線量の数値。
年間1ミリシーベルト。毎時換算で0,23マイクロシーベルト。
その「1ミリ」という数字に、福島県民の毎日が“規制”されている。いや、“翻弄”されていると言ったほうがいいのかもしれない。
30キロ圏内にあった田村市の都路地区の一部。当然、あの事故後、“強制避難”させられた。
その地域は避難指示解除準備区域となり、来月からは宿泊可能になる。そこが“除染”されて線量が低下したのか、自然に低下したのか、もともと低かったのか・・・。30キロという数字によるものなのか・・・。
国は職員20人余りをそこに宿泊させ、線量を測った。屋外に9時間いた人が1,6ミリシーベルト。屋外に2時間いた人は0,4ミリシーベルト。
郡山でも、そこと変わらない線量の地域もある。
郡山でも延々「除染作業」が遅々としながら進行中だ。高線量地区とか低線量地区とかの区分けは無い。行政区画単位に“もれなく”・・・。
原発事故後言われた被ばく線量の基準。最初は20ミリシーベルト、しばらくして暫定基準値としての5ミリ。そして最終結果は1ミリ。ICRP、国際放射線防護委員会の言っていた最低基準。
1ミリシーベルト。その数字の重さ。除染の基準値はどこでもここでも1ミリ。
1、5だったら、3,0だったら・・・。実は誰もわかっていない。正解を知らない。
空間線量だけを言うなら、一昨年の数値を言うなら、避難してきた川内村の一部よりも郡山の方が高かったはず。
常時宿泊が可能になる都路のその地区。住民は国から貸与される個人線量計とデータ読み取り機を常時携行することになるらしい。
1ミリシーベルトの“呪縛”が定着した中で、全住民が常時宿泊に応じるのか。
もう一つの数字の問題。100ベクレルという基準。食品の安全基準値。
放射線の無い世界なんてどこにもない。
川内村の農業をやっている人が書いていた。乳牛用の牧草。隣の草地から100ベクレルを少しだけ上回るセシウムが検出された。そこの牛乳組合が設けている自主規制値は30ベクレル。使えない牧草を刈るというむなしい作業が続いていると。
もはや、こと原子力、放射性物質にかんしては、それが国際的な権威がある機関の数字であても、「すでにして権威に信頼を失った人たちは、数字を信用しない。
数値の中での生活、“監視”されながらの生活。補償とか権利の問題ではなく、被害が出るか、出ないか。因果関係がどうなるのか。自分なりの判断基準を持った人、持てない人、たぶん、大量に被ばくしているであろう原発作業員。
爆発事故から2年半になる。1ミリシーベルトと20ミリシーベルトのはざまで、福島の人たちは暮らしている。そして数字は、問題をより複雑化させ、数字が人のこころを壊しさえもしている。
早期帰還は政府の“陰謀”と言っていられる人がうらやましいかも。そうかもしれないが、時の経過はより深刻であり、複雑になる一方なのだ。
福島県民でも、「何もかんがえていない」ように見える人たちもいる。だから余計に複雑なのだ。
「反」とか「脱」とか言って“正義”を語っている人たちとの間には、埋まらない溝が増えてきているという実感。