目先のことさえなんとか済めば、あとはどうなってもかまわない。そんな“投げやり”で“無責任”な諺がある。いや、諺とはいくぶんか教訓をともなったもの。世相に対する比喩と受け取る。昔から言われているこの言葉。
「後は野となれ山となれ」。
今の時代を言い得て妙な言葉かもしれない。
日本原燃の六ケ所村の核燃料再処理施設。その建設を巡って大量のカネが村につぎ込まれた。村の予算の7割方は原燃からのカネ。
人口1万人余りの村には立派な公共施設が立ち並んでいる。
昨夜のテレビで村会議長が堂々と語っていた。
「再処理施設をやめるなんてとんでもない。あれが無ければこの村はつぶれる。
核の廃棄物が来ることへの不安は無い。あっても仕方ない。どうするかは我々の後の世代が決めればいい」。そんな要旨。
あきれた、が、一方でこの人は“正直”な人だとも思った。カネが無ければ村は成り立たない。その通りだから。
福島の原発立地地域も貧しかった。東北がなぜ貧しかったのか。ちょっと歴史を遡れば明白。中央政府が、あらゆるものを東北、奥州、陸奥から収奪していったからだ。資源であれ、人であれ・・・。
日露戦争、203高地の攻防。そこに派遣された兵士の多くは東北出身者だったという。
参院選では語られない「原発」。何も“進展”していない収束への道。
国は東電を擁護するということだったのか、東電だけに責任を負わせようということだったのか。原子力損害賠償支援機構をつくり、5兆円を用意した。
賠償や除染のために。
そのうちの3,8兆円はすでに賠償に費やされた。残っているのは1,2兆円だけ。除染でこのカネを使い切った後はどうなるのか・・・。
参院選では語られない「財政再建」。この“大赤字”の国。借金大国。このツケだって後世に任されるのだろう。
後は野となれ山となれ。そういうことなのだろう。
とにかく、今さえ良ければ。この国を覆っている“空気”。誰が、これをぶち破れるのか。その策を持たない自分が恥ずかしい。
もうずいぶん前、六ケ所村に行った。施設の視察に。三沢の駅で降りて、会津藩ゆかりの広沢牧場を横目にしながら。そのマイクロバスの中でなぜか携帯音楽プレーヤーで音楽を聴いていた。六ケ所村から東通村、そしてむつ市。道中ずっと聴いていた。
ベルディーのレクイエム。怒りの日。
木曜日。いつものようにNHK仙台の「被災地から声」を見る。聞く。
津田アナウンサーがはっきり言っていた。
「テレビで見た目と、実際の被災者たちの感情とは大きな違いがある」と。
今日は原発から避難している人たちの声。須賀川の仮設住宅。
残してきた植木一つ一つまでに思いを馳せる人の言葉。原発のことはよくわからないけど、危険だから除染するんでしょ。何が危険なのか本当のことを教えてください。
津田アナウンサーは補強する。「福島県の人たちは、他県の人がイメージしているように、単に黙っているだけではない。喋り出したら、言いたいことがいっぱいありすぎて止まらないからだ」と。
この番組を見るたびに怒りが込み上げてくる。怒りの日となる。
この番組はいつまで続くのだろうか。ずっと続けてほしいと願う。津田アナウンサーがやっている限り、真摯に伝えている限り、ボクも書くことを止めない。