食道癌でなくなった東京電力福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎氏。
その死はあまりにも残念でならない。慙愧に耐えない。彼の死を悼むに、通り一遍の言葉はつかえない。言葉を持ち合わせない。
彼の詳細は、原発事故後の様子は、門田陸将という人が書いた「死の淵を見た男。吉田昌郎と福島第一原発の500日」という本で、かなりつまびらかにすることが出来た。
当時の様子を、かなり詳細に彼は語っている。この本の出版に至る経緯はしらないが、数少ないメディアへの露出含めて、「言いたいこと」が「言うべきだと思うこと」が彼の中にあったのだろう。
当時の記録、手記を彼は書こうとしていたという。いくらかは病床で書いていたのかもしれない。もし、それがあったとすれば、何らの修正、加筆をされることなく目にすることが可能なのだろうか・・・。
「あの人だから団結出来た」。災害直後から彼のそばにいたという発電所の幹部はそう述懐しているという。
そして彼は、こよなく「論語」を愛していたという。いつも読んでいたという。
「論語」によって培われた“上に立つ者の人間学”。リーダーとしてのあるべき姿。
論語を実践した人かもしれない。
「逝く者は斯くの如きか」。論語の一節をタイトルにしてみた。それを引くことがせめてもの、直接見知らぬ人ではあったものの、事故の拡散をあれ以上になることを防ぎ得たのは彼の独断による行動が大であったと思うから。
「さむらい」だった人だと思う。
そして、彼が口にしていた言葉は、現地で働く作業員の大半が福島県人であることも含め、まず福島県人に詫びる言葉だった。
理非曲直をわきまえていた人だとも。
子、
川の上に在りて曰く。逝く者は斯くの如しか。昼夜を舎(お)かず。
死期が迫る中、この一節が彼の脳裏に去来していたのかもしれない。
思い当たる論語の言葉を引く。
憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず。
知者は惑はず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。
論語を繰りながら若い人に言っていたという。「徒然草を最後まで読め」とも。
このブログも徒然草の冒頭をさしたる思いもなくとっている。
徒然草と論語には共通点が多い。人のあるべきみちを説いている。
そして、徒然草の終段。仏とはいかなるものかについての問いにこういう答えが書かれている。
「(仏)は空よりや降りけん、土よりや湧きけん」と。
迷ったら戻れ、原点に戻れ。それが彼の哲学だったとも元部下が言っている。
あえてこの国のあり方をきょうは語るまい。一言。原点に戻ることを忘れ、ひたすら突き進むことだけを考えているようにうつる・・・。
論語にある言、もう一つ。
過ちて改めざる、これを過ちと謂う。
吉田昌郎の死を悼む人も、悼まぬ人も、もって銘すべき論語の一節。