2013年7月24日水曜日

「元気にがんばります!」

いわきグリーンスタジアムで行われたプロ野球オールスター第3戦。
8回表が終了すると外野スタンドに大きな「フラッグ」が登場した。
縦9,6メートル、横35メートル。

そこに大書された印字。

「これまでのご支援ありがとうございます。
福島はこれからも元気にがんばります!」。

空白のところには、子供たちの寄せ書きが所狭しと。
県内17小学校の児童2013人が参加、全国からの支援に感謝する思いを書いている。

もちろん球場内からは大きな拍手。選手も全員。野球選手も生涯この光景は忘れないだろう。グラウンドとスタンドが“同化”していた。

憧れのプロ野球選手のプレーを見て子供たちは皆、目を輝かせ、喜びいっぱい、感動したと言っていた。

大人たちは、その子供たちから「感動」をもらった。感動の連鎖。

そして子供たちの顔が明るければ明るいほど、心に翳りが生じる。なんで・・・。

我々大人たちは、この子たちの世代に、多くの「負の遺産」「ツケ」を残してしまったのだから。

子供たちは一生、「元気にがんばります!」と言い続けなければならないのか。

いわきグリーンスタジアムから数十キロのところに晒されている原発事故現場。“廃炉”というか、それがなくなるまでに40年以上はかかるという。
そこにある、行き場のない放射性廃棄物。全国にある「核のゴミ」。

どうなるかわからない年金制度。
何よりも、国が背負っている多額の“借金”。
皆、この子供たちの世代が背負うことになる。

もはやこの国に「国家百年の大計」は存在しない。今がよければ、明日が良ければ・・・。孫子の代に思いを致す大人がどれだけ存在しているのだろう。

「元気にがんばります!」。そう“宣言”する子供たちに、大人は合わす顔があるのだろうか。

「子供たちに謝る時代」。それが今なのかもしれない。

「頑張る、頑張ろう」。この2011年3月11日以降、この国を覆っていたその言葉に僕は反発した。

そして、いささか、その言葉について違う考えを持つようになった。
頑張るという言葉をつかえるのは頑張っている人達だけ。他者の、悪意の無い“励まし”の言葉であっても、“免罪符的”な思いからであっても、頑張りを他者に強要してはならないといいうこと。

いくら頑張っても結果は見えないかもしれないが、日々を頑張って生きている人たちにだけ、使うことを許されて言葉ではないかと。

かつて、メーデーなるものが全盛だった頃、「がんばろう~突き上げる空に~~」そんな労働歌に酔いしれ、鉢巻をして、とにかく「ガンバロウ!ガンバロウ“」が代々木公園の森にこだましていた。


選挙戦。出陣式では、自民も共産も、示し合わせたように鉢巻を締めて「頑張ろう」の鬨の声。今回もそうだった。そして、それは、いつも“異様”な光景に見えていた。

“チェルノブイリ”異聞

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