2013年7月11日木曜日

「被災した人にしかわかない現実」

きょうは11日。2年4カ月。木曜日。昼はいつものように、NHK仙台、津田アナウンサーの「被災地からの声」を見る。見て考える。
きょうも番組は仮設からの“声”を伝えていた。そして言う。「そこには被災した人にしかわからない現実があるのです。これだけははっきり言えます」と。

少し前、「“知る”という支援」ということを書いた。関心を寄せていただいたようだ。

見て、聞いて、知って、学んで、考えて。この「思考」の循環。決して自己完結出来ない回路。

別に開き直るわけではないが、知ってくれなくてもいいと思う。しかし、知らずして語って欲しくない。しかし“有意の偽善”を持って、知ったようなふりをして、例えばここ郡山を語る、他人の言を引用して“同情”を寄せる人のなんと多いことか。

知るということへの努力がされていないように感じる。それは被災地のことだけではく、あらゆることへの。自分たちの日常生活を大過なく送れることで十分としている人たち・・・。

数日前、久しぶりに東京に行った。“同窓会”。仕事仲間の。場所は六本木のホテル。
何の予断も持っていなかったが、回転ドアをあけて入ったその空間は、“異次元の世界”に飛び込んだような錯覚にとらわれる。

快適な空調、心地よい音楽。和装に身を包んだ美しい女性コンシェルジュの笑顔。ロビーで談笑する人たちの醸し出す雰囲気。ベルボーイからフロントマンまで、その醸し出す高級な雰囲気。

ボクもかつてはその雰囲気を、そんな場を異様とも思わず、毎日のようにそこに身を置いていた。当然のように。そのホテルへの懐かしさとともに、そこが場違いのように思えてくるように変化しているこの感情。

そして思う。ここには「3・11」は存在していないのだということ。忘れられていく。当然だと。あの場で被災地を思うことは不可能だとも。だから、忘れて頂戴ねと胸の中で言う。

ランチをともにしながら、酷暑の東京でビールを楽しみ、旧交を温める。
会話の多くは時事問題だ。日中関係、安倍政治。会話は尽きない。一人一人が、恒例のように“近況報告”とやらをやらされる。

ボクは語る。被災地を、福島を。何かが伝えられたか。わからない。
誰かが言う。「大河ドラマの八重の桜は高視聴率なのかと」。
「高視聴率かどうかは知らないが、八重の桜に酔っているような雰囲気はたしかにある」と答える。皆、納得しているような。八重の桜、イコール福島県だと思っているから。
会津と中通の区別もあまりわかってくれていない。でも、知らない人からすれば当然なのだ。

ランチ代6,000円。ラウンジのコーヒー1,100円・・・。

土産に持参した薄皮饅頭。「この前福島復興イベントに行ったらこれあったよ。
うまかったよ」と一人だけ言ってくれた。

原発は俎上にのぼらなかった。

雷雨に追われるようにして戻ってきた郡山。いきなり飛び込んできたニュースは第一原発の地下水汚染。汚染された地下水の濃度急上昇。海に流れ出している可能性大。

小名浜の漁師が言う。「これでもう沿岸漁業は終わりだな」・・・。

足尾銅山事件で田中正造が残した言葉。
真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず村を破らず 人を殺さざるべし」。

文明の名の下の原発は、山を汚し、川を汚し、海を汚し、人を殺した。

亡くなった吉田昌郎所長。体調が不良になり、検査入院した。東京の病院へ。「必ず帰ってきます。一時東京に戻ることになりました。許してください」。作業員に頭を下げ、涙を流して許しを乞うたと言う。
もちろん、彼は検査が終わるとすぐに現場に帰ってきたが。

病を得て戻ってきた主を家族はどんな思いで迎えたのだろう。そして彼が束の間感じた東京の“空気”。どう受け止めたのだろう。

死の淵を見た男は死の淵を越えた。なにごとか無念であったろう。


「現実」をほんのわずかでも、微細であっても。現実を伝えること。そのためにも長生きせにゃなんねぞい。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...