2013年7月5日金曜日

「福島の復興なくして日本の再生無し」

昨日、選挙遊説の第一声で、安倍は福島駅前ではっきり言った。
「この地で第一声をあげることにしたのは、福島の復興無くして、日本の再生はないと思ったからです」。

たしかにその通り。お願いしますよ安倍ちゃん。と言いたいところだけど。

なんかこのセリフ、フレーズ、聞き覚えがあるな。

そうだよ、あの野田が首相だった時、本会議場で大見得を切っていた。
で、何をしたか。何もしていないと。平野復興大臣が地道に“予算”をつけてはいたが、差配はしていたようだが、何も変わっていなかった。

掛け声はいらない。実質が、具体的な政治がほしいのだ。

安倍首相にもし、福島の復興のために具体的にはどうするのかと問うてみたとする。

復興庁の出先を福島に置いたというかもしれない。でもこの出先の“実態”は、あの参事官のツイートでばれた。担当官庁の役人が、いわば職務放棄。停職処分はあったが、“上司”にあたる復興大臣の話は、なんとも・・・。

復興には「具体的定義は無い」というかもしれない。そりゃそうだ。未だもって「復興とは何か」の疑問をみんな持っている。

復興に向かっているのか、これからかと問うてみる。その認識を。「認識は専門家に任せます。専門家の指摘を参考に、それへの支援を惜しまない」くらいの答えだろう。

復興予算の流用。言ってみれば火事場泥棒。基金という隠れ蓑。流用した地方自治体は言う。「国の指示があったから、それに従ったまで」と。
その地域の住民は「おかしい」と言っている。

結局、国が「取り戻した」のは、1,000億円程度。基金には兆の単位のカネがつけられていた。
自民党は言う。「あの予算を作ったのは民主党政権の時。我々の予算にはそんなものは無い」と。

民主党が政権を獲得してから、事あるごとに「自民党政権でやっていたこと」と言っていた。それと同じことの繰り返し。

政党間の対立、くさし合い。何党の政権であろうと、政治とは国民のためにあるものなのに。

だから言われる。「国民不在の政治」と。

民主党がやったことだから、僕たちは知らない。それは政治の責任を放棄すること。

思い返す。民主党政権の誕生。積極的に民主党なる寄り合い所帯を支持した人がどれだけいた。
自民党政治に飽きてきていたから。

なってはみたものの、鳩山、菅、野田。ボンクラばかり。期待が多きかった分、それが外れると、失望はより大きい。

そして政治の針はまた自民党に・・・。
野田に至っては本会議場での安倍に向かっての「ひかれ者の小唄」。

「驕れるものは久しからず」。

どうも安倍自民党は驕り高ぶっているように見受けられる。

きのうはTBSの報道に抗議し、役員会出席者メンバーの取材お断りだとか。
昔もあった、こんなこと。テレビへの出演禁止令。

小沢一郎が驕り高ぶっていた時にもやった「取材拒否」。
橋下もよく使う。

TBSの件、国会閉幕時のこと。そのニュース番組は見ていなかったが、どうやら電事法改正案の廃案をめぐってのVTRで出演した人がお気に召さなかった様子。

同じようなこと、僕も書いた。国会対策の“妙”として。“思惑”として。

VTRの出演者が孫正義の団体の関係者ということもお気に召さない様子。

菅と孫。僕もずいぶんこき下ろしたな。お手てつないでの自然エネルギー論。

報道規制、取材規制。驕り高ぶっている証拠だぜ。

で、さ。何を以って「復興」というのか。その形も、実相も、ワカンナイ。
その未来地図も見たことはない。ワカンナイ♪
君の言葉がボクにはワカンナイ♪ ワカンナイ♪

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