時々晴れ間の、しかし、肌寒い参院選の投開票日の朝。こんなことを思っていた。
塾生から教わった言葉。「恩送り」。
恩返し。恩を仇で返す。恩知らず。恩着せがましい・・・。恩という字を使った言葉はいろいろある。だけど恩送りという言葉は知らなかった。恥ずかしながら。
塾で、あらためて我々はなぜ学ぶのかという話をした。あらためて。塾の理念である佐藤一斉の言を確認する意味でも。
知るということがいかに大事なことか。知らなければ何もはじまらない。
知って学ぶ、学んで考える、考えれば想像力が湧く。想像力が湧けばさらに知ろうとする、そしてまた考える。
この“連鎖”は自己完結しないと。回り続けるはずだと。
牛や、豚、鶏、野菜、コメ。全ての生き物の「命」を貰って人間は生きている。生かされている。「戴きます」という食事の時にいう言葉は「命を戴く」ことへの感謝だと。
そしてエルトールル号遭難事件の話をした。かつてトルコの軍艦エルトールル号が和歌山沖で台風に遭遇し座礁。多くの死者を出した。何十人かは串本海岸にたどり着いた。それを知った住民たちは総出で、遭難者を救助し、台風のために欠乏していた食料を持ちより、着るものを集め、そのトルコ人たちを救った。そのことを知った明治天皇も被災者を手厚くもてなすように明治政府に伝えた。その人たちは本国に帰ることが出来た。
後年、イラン・イラク戦争が勃発した時、フセインは上空を通過する飛行機全部を撃ち落とすと言った。多くの日本人は脱出しようとテヘランの空港に終結した。どこの航空機も満員。日本政府からは救援機が来ない。孤立していた人本人。そこに一機のトルコ航空機がついた。日本人全員を成田に届けた。
なぜか。トルコ人はエルトールル号事件のことを知っていたから。学校の教科書で学んでいたから。
トルコ人を助けてくれた日本人が苦境にある。助けないわけにはいかない。国が動いた。そういう教育を受けていたから。
知るということが利他の心に、行為につながるという一つの例として話した。
その講義録を書いた塾生が、恩送りという言葉もあると教えてくれたのだ。
「恩送り」。ひとことで言えば、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送るということ。
なぜか選挙の当日にこのことを思い出している。
政治家は、選挙に出ている人たちは、いったい、この国の何を知っていて、何を考え、どういう想像力を働かしているのだろうかということ。
何も考えていないような人たちばかりのような気がする。もちろん福島に対してもだ。何のために立候補しているのか。そのことも含めて。
「福島」から、彼らはいったい何を学んだのか。学んでいないと確信しているから。
彼れらが「恩に着ます」というのは、投票してくれた人たちにだけ、その場しのぎで言っている安易な言葉にすぎないと思うから。
「皆さんのご支援に対して、必ず恩返しをします」。当選あいさつでは必ずそう言うだろう。決まり文句として。
塾で以前、「風に立つライオン」の話をした。さだまさしの歌。ナイロビに赴任した医師。恋人と別れる羽目になる。その想いを託した歌。
その歌詞の一節にはこうある。
この偉大な自然の中で人と向き合えば
神様についてヒトについて考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけど どこかで何か大切なところで道を
間違えたようですね。
塾生たちは若い。彼らに間違った道を歩ませたくない。だから素直に詫びた。
「僕も道を間違えた人の一人だったのかもしれない」と。
そして、「僕は風に向かって立つライオンでありたい」と語りかけてくる歌。
この歌を紹介しながら、風に向かって立つライオンでいようと、心に決めた。
数日前、普段はフェイスブックに何も書き込み、投稿をしない塾生の一人が一行書いていた。
「“風に立つライオン”をアマゾンで買いました」と。本の写真付きで。本になっていることを教えられた。
歌に“登場”していた医師団は、「3・11」後、被災地で、そのDNAを受け継いだ医師たちが地道な活動に取り組んでいたらしい。
今夜わかる。日本の明日からの道が。間違った道なのか、そうではない道を進もうとするのか。
選挙結果に何を学ぶのだろうか・・・と。