2013年7月9日火曜日

「頑張ってない人なんていない」

全国縦断コンサートをやっている「アリス」。被災県に行くと、仮設住宅のある場所の駐車場に、それこそ“仮設”のステージを作り、数十分のミニコンサートをやっている。
スポットライトは当たらない。炎天下。バックバンドもバックコーラスもいない。3人だけの簡素なステージ。

観客も数十人。ほとんどが中高年。アリス世代。

手拍子に、笑顔に、涙に。往年のアリスの名曲にしばしの「楽しい時間」を過ごす。ただただ体をゆすっているだけの人もいる。車椅子の人もいる。
そのミニコンサートで、アリスは、谷村新司は決して「頑張ってください」とは言わない。「頑張ろう」も言わない。そう決めているという。
彼は言う。「頑張っていない人なんてここにはいないから」と。

歌うことだけで何かの役に立てれば。そんな思いらしい。

 

あれから2年と4カ月が来る。

 

「頑張ろう」という言葉やスローガン、日本中を席巻していた。「頑張ろうニッポン」「頑張ろう東北」「頑張ろう福島」。
 
その言葉の曖昧さや無意味さを何回書いてきたことか。疑問を呈して来たことか。
「もう十分頑張って来たのにこれ以上何を頑張れというのか」。そんな声をいっぱい聞かされた。その通りだと思った。
谷村新司は、「答え」を出してくれていた。歌を聞いた人たちは、自分たちの時代の歌を聞いた人たちは、安堵感を覚えたという。

「頑張ろう」という“同調圧力”から逃れられたひととき。

そう、去年の「漢字」。たしか絆だった。絆の押しつけ、それは同調圧力に転化する。この「絆」とう字、言葉もボクは嫌った。
参院選まっただ中。列島を「頑張ります。頑張っていきます。頑張ってください」。“ガンバリズム”の大合唱。
「ガンバロウ」のシュプレヒコール如きものが叫ばれる。

 

「どうぞご勝手に」だ。

 

被災3県。仮設にも候補者は来る。頑張ってくださいね。応援しますから。出来ることをやりますから」。そんな声掛けに仮設の“住民”は、本心どう反応しているのだろう。
つい数年前まで、選挙では「マニフェスト」だの「アジェンダ」だの、与野党問わず、「カタカナ語」が大手を振っていた。マスコミも毎日そのカタカナ語を使っていた。
今度の参院選。そんなカタカナ語は“一蹴”された。元の「公約」という言葉に戻った。
あの「マニフェスト選挙」とは何だったのか。使った政治家だけではない。選挙民もその言葉に踊らされていた。

 

皆、「同調」だったのだ。

 

きらびやかなステージから降りて、“仮設”のステージで歌うアリス。

きらびやかな赤絨毯から出て、わざとらしくビール箱の上に立って頑張りますを連呼する候補者、応援者。

当選すれば赤絨毯が待っている。選挙は「仮の姿」なのだ。

駐車場の土や砂利の上でアリスを聞く人たちには「きらびやかな近い将来」は無い・・・。もう十分頑張ってきたけれど。

“チェルノブイリ”異聞

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