スポットライトは当たらない。炎天下。バックバンドもバックコーラスもいない。3人だけの簡素なステージ。
観客も数十人。ほとんどが中高年。アリス世代。
手拍子に、笑顔に、涙に。往年のアリスの名曲にしばしの「楽しい時間」を過ごす。ただただ体をゆすっているだけの人もいる。車椅子の人もいる。
そのミニコンサートで、アリスは、谷村新司は決して「頑張ってください」とは言わない。「頑張ろう」も言わない。そう決めているという。
彼は言う。「頑張っていない人なんてここにはいないから」と。
歌うことだけで何かの役に立てれば。そんな思いらしい。
あれから2年と4カ月が来る。
「頑張ろう」という言葉やスローガン、日本中を席巻していた。「頑張ろうニッポン」「頑張ろう東北」「頑張ろう福島」。
その言葉の曖昧さや無意味さを何回書いてきたことか。疑問を呈して来たことか。
「もう十分頑張って来たのにこれ以上何を頑張れというのか」。そんな声をいっぱい聞かされた。その通りだと思った。
谷村新司は、「答え」を出してくれていた。歌を聞いた人たちは、自分たちの時代の歌を聞いた人たちは、安堵感を覚えたという。
「もう十分頑張って来たのにこれ以上何を頑張れというのか」。そんな声をいっぱい聞かされた。その通りだと思った。
谷村新司は、「答え」を出してくれていた。歌を聞いた人たちは、自分たちの時代の歌を聞いた人たちは、安堵感を覚えたという。
「頑張ろう」という“同調圧力”から逃れられたひととき。
そう、去年の「漢字」。たしか絆だった。絆の押しつけ、それは同調圧力に転化する。この「絆」とう字、言葉もボクは嫌った。
参院選まっただ中。列島を「頑張ります。頑張っていきます。頑張ってください」。“ガンバリズム”の大合唱。
「ガンバロウ」のシュプレヒコール如きものが叫ばれる。
「どうぞご勝手に」だ。
被災3県。仮設にも候補者は来る。頑張ってくださいね。応援しますから。出来ることをやりますから」。そんな声掛けに仮設の“住民”は、本心どう反応しているのだろう。
つい数年前まで、選挙では「マニフェスト」だの「アジェンダ」だの、与野党問わず、「カタカナ語」が大手を振っていた。マスコミも毎日そのカタカナ語を使っていた。
今度の参院選。そんなカタカナ語は“一蹴”された。元の「公約」という言葉に戻った。
あの「マニフェスト選挙」とは何だったのか。使った政治家だけではない。選挙民もその言葉に踊らされていた。
つい数年前まで、選挙では「マニフェスト」だの「アジェンダ」だの、与野党問わず、「カタカナ語」が大手を振っていた。マスコミも毎日そのカタカナ語を使っていた。
今度の参院選。そんなカタカナ語は“一蹴”された。元の「公約」という言葉に戻った。
あの「マニフェスト選挙」とは何だったのか。使った政治家だけではない。選挙民もその言葉に踊らされていた。
皆、「同調」だったのだ。
きらびやかなステージから降りて、“仮設”のステージで歌うアリス。
きらびやかな赤絨毯から出て、わざとらしくビール箱の上に立って頑張りますを連呼する候補者、応援者。
当選すれば赤絨毯が待っている。選挙は「仮の姿」なのだ。
駐車場の土や砂利の上でアリスを聞く人たちには「きらびやかな近い将来」は無い・・・。もう十分頑張ってきたけれど。
きらびやかな赤絨毯から出て、わざとらしくビール箱の上に立って頑張りますを連呼する候補者、応援者。
当選すれば赤絨毯が待っている。選挙は「仮の姿」なのだ。
駐車場の土や砂利の上でアリスを聞く人たちには「きらびやかな近い将来」は無い・・・。もう十分頑張ってきたけれど。