2013年7月29日月曜日

福島と「反原発」は交差しない。

昨日から福島市で原水禁世界大会が開かれている。

15万人もの人たちが「避難生活」を送っている。高線量が主たる原因で、もといた家に帰れない人たち。少なくとも「原発被災」にかかわる双葉郡や飯舘など9町村。そこの帰還困難区域に指定されている地域。

「もう帰れない」。「帰らない」。そんな決心をするべき時期にきてしまったようだ。

福島の、いわゆる原発立地地域。そこは「原発で潤った町」だ。「東電さん」のお世話になった町や村だ。原発が出来る前は、基本的には貧しい地域だった。
いまさら能書きたれても仕方ないが、貧しさは悪魔を味方だと思ってしまう。ダメだとわかっていても“悪魔”を受け入れる。

日本地図をちょっと俯瞰してみてくれればいい。原発がある地域は、基本的には貧しい土地だったということ。
札束をちらつかせれば、それに“なびく”。その他の地には、それを責める人たちがいる。

原発が出来る前から、いや、明治にさかのぼっても、もっと以前からかもしれない。過疎という言葉では不十分だ。
あえてこの国土の中に、中央権力は「貧しい地域」を、なかば“無意識”に作ってきた。
それが「原発エネルギー政策」の標的にされた。立地地域は原発で栄えた地域なのだ。歴史的事実として。

その“負の歴史”を福島県民はどこかで肌で感じている。

被災者の誰一人として原発にはこりごりしている。しかし、原発で収束作業にあたっているのも被災者。「東電さん」にはお世話になっているという感情がある。
賠償金を受け取りながらも、それにためらいを覚えながらも、後ろめたさを感じながらも、受け取っているという根源的苦悩。

それがわかっているから、東電はなお、カサにかかったように福島に接してくる。
「ばかにするんじゃめえよ」と思いながらも、怒りをぶつけながらも、折り合いをつけようとする。
再稼働で揺れる立地他県。「原発がなければ生活が出来ない」。それも本音。

自己矛盾には気付いているにもかかわらず、無理やり安全だと信じ込もうとする心情。

東京で行われている反原発運動。それは、参院選で二人の反原発運動家を当選させた。
「福島の農産物は食べるな、福島には人が住めない」と言い切る人たちを。

「賠償金で農家を補償すればいい」そんな短絡な思想で「福島」を語る人。

そんな次元じゃないんだよな。農家は土への愛着が違う。金で買うものではない。そんな心情は意にも介されない。

反原発運動と、そう、運動としての反原発と、福島の原発観。それは交差しないものなのだ。原水禁大会に来た人たちにそれが届くかどうか。

反原発運動の人たちが、それこそ「歴史」を学んでいてくれれば、ちょっとでも知っていてくれれば、「生きる」ということの根源を理解してくれれば、もうちょっとは福島県民の心情もわかってもらえると思うのだが。
彼らにはその余裕もなければ、想像力もカケラも無い。

“実験場”としての福島。その実験とは、なにも被ばく線量の健康への影響だけではない。金の威力をあらためて確信させるための実験場なのだ。

福島県民の、東電で、原発で働いていて、そこの現場を熟知している人でないと、収束作業は全くはかどらない。いや、機能しない。「後始末」までも、その手に委ねられている福島県人。立地地域に住んでいた人たち。

実直で、働きもので、貧しかった人たち。国の、巨大権力の罠にはめられて人たち。金で縛られる蟻地獄のような・・・。

反原発に積極的に動かない、声を上げないということを以って福島県民をさげすむなかれ。

全国津々浦々に流れるテレビの映像。そこに見える東京の豊かに見える、それが錯覚だと気づかないまま、それに憧れる人たち・・・。
それを責めるなかれ。
「豊かさ」という空気にこの国は支配されてきたのだから。

東京の豊かな生活を支えてきたのは、貧しい地方の人たちだったということも含めて。

今更語る話ではないかもしれないが、反原発の活動家と称する、ほとんどエセだと思うけど、その人を基軸にして、没落した社民党や一部勢力の結集を図ろうという動きが、ほんと、ばかばかしすぎる話が、まことしやかにメディアが面白半分のように伝えるから。


福島県民とひとくくりで書いた。そうではなく様々な福島県民がいるということは百も承知の上で。

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